焼き餃子のぶろぐ

人生の光たちについて語るブログです。

世界一かわいいあなたへ。

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こんにちは。

今回のお話が、名前こそ出てくるもののSixTONESのことでもジャニーズのことでもないことをお許しください。

それでも読んでくださる方がいたら、私としては嬉しい限りです。

 

 

 

 

 

 

幼稚園の年長さんの年、私の誕生日に、彼女と私は出会いました。

 

 

家族にお祝いをしてもらい、美味しいご飯とケーキを食べ、幸せいっぱいの私に、「プレゼントもあるよ」と、両親が言いました。

物欲のない子供だったので誕生日プレゼントは何もリクエストしていませんでしたが、両親は私のためにと悩みに悩んでプレゼントを用意してくれたそうです。

 

それは、普段は立ち入ることのない両親の寝室にありました。

布のかかった箱。

それも、そこそこ大きな。

 

怖くなった私は、兄を盾にしてその箱に近づきました。

箱にかけられていた布を震える手で外した私の目に飛び込んできたのは、生き物がいそうなケージでした。

 

 

 

生き物がいそうな、と書いたのには理由があります。

というのも、ご飯も水も用意されているのに、肝心の生き物は私からは見えなかったのです。

両親が期待していたような「うわぁ!なにこれ!?」というリアクションは、私を含めた兄弟誰もとることができませんでした。

「えっ……?カゴ…?」と兄が呟いたことを、なぜか今でもはっきりと覚えています。

 

 

「ザ・田舎のわんぱく少年」だった兄の影響で、生き物は大好きでした。

虫捕りカゴをぶら下げて野山を駆け回るのなんて日常茶飯事だったし、泥だらけになりながらザリガニを素手で捕まえるような子供でした。(今は無理です。)

当時は、金魚とメダカとカブトムシとクワガタを飼っていました。

それなりに愛情を注いで育てていたと記憶しています。

 

 

 

そんな私は、目の前にあるケージを見て、「生き物がいる」とはわかったものの、何がいるのかさっぱりわかりませんでした。

私の誕生日プレゼントだから、私がケージの扉を開けるべき。

ではありましたが、怖かったので兄にお願いしました。

兄は一切の躊躇なく扉を開け、ゲージの中を覗き込むやいなや、

 

「あ!!ウサギ!!!!」

 

と叫びました。

見えたお尻がウサギのものだと、母親の足にくっついて成り行きを見守っていた私に教えてくれました。

 

 

父が、よく見てごらん、と言いながら、ウサギをケージから出しました。

 

その瞬間、私は号泣しました。

 

ウサギだと思っていたのに、ウサギ特有の大きな耳がどこにもなかったのです。

幼稚園にいるウサギと、目の前にいる生き物は、全くの別物でした。

 

 

誕生日に号泣している私と、そんな私を困ったような顔で見上げている、ウサギのようでウサギでない未知の生物。

それが、私と彼女の出会いでした。

 

 

 

 

 

 

泣き続ける私をどうにか落ち着かせ、両親はこのウサギのようでウサギでない生き物は「モルモット」という名前であるということを教えてくれました。

聞いたことのない名でした。

ハムスターのでっかい版みたいな、耳のないウサギみたいな、不思議な生き物。

 

しかし、小さくてシャイな彼女は、今まで見てきたどんな生き物よりもかわいかったのです。

この子が今日からうちの子になる。

そう考えるとワクワクしてきて、その日はなかなか眠れませんでした。

 

 

 

嬉しくて嬉しくて、出会う人全てに自慢して回りたかった。

「モルモット」なんて名前の生き物を、私は飼うことになったのよ!!と、大声で叫びたかった。

 

でも、当時の私は、世界の誰も知らない謎の生き物を飼うことになったと、今となっては笑ってしまうくらい本気で思っていました。

だから、幼稚園の担任の先生と、とびきり仲の良い友達だけに、この重大な秘密を打ち明けることにしたのです。

 

今思えば、先生はモルモットという生き物を知っていたかもしれません。

しかし、私が意を決して打ち明けた重大な秘密を、先生と友達はこれ以上ないほどのリアクションとともに受け止めてくれました。

 

帰り際、先生に「お名前が決まったら、またこっそり教えてね」と言われました。
そこで初めて、「あの生き物に名前をつけてあげなければ」と気づきました。

彼女に似合う、とびきりオシャレでかわいい名前にしなければ。
使命感に燃えながら、沢山の候補を思いつくまま紙に書き出しました。
彼女の毛の色は茶と白だったので、それにちなんだ名前をつけたらオシャレなんじゃないか。そう考えた私の中でしっくりきたのは「キャラメル」でした。

しかし、彼女の名前を決める家族会議でこの案を提出したところ、全員に「キャラメルはそのまますぎてダサい」と却下されました。
ここで、諦めの悪い私は閃きます。「キャラメル」から一文字取って、「キャメル」にしたらいいのではないか。
キャメル。かわいい彼女によく似合うかわいい名前だ。最高じゃないか。


満を持して発言した私に、母が一言。

「キャメルは、ラクダやで。」


最高だと思った名前はやはり却下され、引き換えに私は英単語の意味を1つ覚えることができました。
結局、私が書き出した沢山の候補からは欠片も採用されず、たった1つしか出さなかった兄の案が採用されました。
安直でしたが、悔しいほど彼女に似合うかわいい名前でした。

 

 

 

我が家に来たばかりの彼女は、とても小さく、臆病で、「お嬢さん」という感じでした。

それでも私もまだまだ幼く、小さな彼女を両手に乗せることすらままならなかったことを覚えています。

 

 

小さな生き物を、小さな手で守る。

命の尊さを、両親は私に伝えたかったのかもしれません。

かわいい彼女を守るために、何をしなければならないのか。本を読んで勉強し、実践し続ける日々でした。

 

 

 

私は彼女に、沢山の愛情を注ぎました。

毎朝必ずおはようの挨拶をし、出かける前には行ってきますと声をかけながら頭を撫で、帰ってきたらただいまと言い、眠る前にはおやすみを言いました。

毎日部屋の掃除をし、小さな彼女に話しかけながらブラッシングをしました。

 

 

彼女には沢山の話を聞いてもらいました。

幼稚園を卒園したこと。ランドセルを買ってもらったこと。小学校に入学したこと。友達と喧嘩したこと。先生に褒められたこと。授業のこと。習い事のこと。アイドルを好きになったこと。櫻井翔くんの魅力…

 

家族には言えない悩みも、彼女にだけは話すことができました。

人の言葉なんてわからないのかもしれないけれど、彼女を撫でながら心の内を言葉にする時、彼女はいつもジッと私の膝の上で話を聞いてくれていました。

 

 

忘れられないことがあります。

初めて、泣きながら彼女に話をした時のこと。

彼女は泣いている私をじっと見つめ、その後ぴったりと寄り添ってくれました。

初めてのことでした。

いつもはじっとしているだけの彼女が、寄り添ってくれたのです。

本当に嬉しく、幸せで、彼女の背中をますます濡らしてしまったことを鮮明に覚えています。

 

人間の言葉は、彼女には理解できなかったかもしれません。

でも、彼女は人の心の動きを敏感に感じ取り、寄り添うことのできる、本当に優しい子でした。

私はそんな彼女に何度も救われました。

 

 

 

 

モルモットの寿命は犬や猫ほど長くありません。

彼女と暮らし始めた時、「小学校卒業まで生きていたら奇跡だ」と言われました。

確かに、その当時読んだ本にはモルモットの寿命は5〜6年程と書かれていました。

これまで私が生きてきた時間ほどしか、この先彼女と一緒にいられないのだという事実は、あまりにも辛いものでした。

 

しかし、彼女は結局、私の小学校卒業を見届けてくれました。中学校入学も。

このまま中学校卒業まで見届けてくれるのではないか。そんな風に思ったこともありました。

しかし、中学2年の夏の終わり、彼女は旅立ちました。

 

 

旅立つ1週間前から、ほとんどご飯を食べなくなりました。

もう長くはないのだと、嫌でも感じさせられました。

 

ある日、何故かふと「写真を撮らなければ」と思い立ちました。

7年半、何枚も何枚も撮ってきました。

日常の何気ない写真や、行事ごとの写真、誕生日の写真など、どの写真にも思い出が詰まっています。

部活に入ってからは毎日目が回るような忙しさで、昔ほど写真を撮ることができていませんでしたが、その日久しぶりに彼女の姿を撮りました。

 

それが、彼女の最後の写真になりました。

旅立つ前日のことでした。

 

 

彼女が旅立った日、私は朝から試合でした。

もう3日ほど何も口にしていない彼女の前に大好物の小松菜を置いて、目を見ながら頭を撫で、「行ってくるね」と声をかけました。

長い間一緒にいたからか、心のどこかで、これが最後になると気づいていました。

案の定、試合から帰ってくると、目を真っ赤にした母親が出迎えてくれ、全てを悟りました。

 

 

これが最後になる、ということは、彼女が教えてくれたのだと思います。

私が後悔しないように。私が苦しまないように。

 

思い返せば、中学に入ってからは、朝、ゆっくり頭を撫でてやりながら行ってくるねと言うことは減っていました。二階にいる彼女に、一階から行ってきまーす!と声をかけるだけの日がほとんどでした。

 

そんなお別れだったら、私はきっと後悔していたと思います。

そうならないよう、彼女は自分の旅立つ日を私に教えてくれたのだと、そう思わずにいられませんでした。

 

 

冷たくなった彼女を抱きしめた時、これが「死」というものなのだと知りました。

悲しかったけど、不思議と受け入れられるというか。でもやっぱりどこか信じられなくて涙も出なくて、ただただ膝の上でじっとしている彼女をいつものように撫でていました。

 

 

しかし、ふと彼女の顔を見た時に、涙が止まらなくなりました。

彼女の口の周りが、緑色になっていたからです。

彼女は最後の力を振り絞って、私が置いていった小松菜を食べてくれたのです。

もう何も口にすることができなくなっていたのに。

 

それは間違いなく、彼女から私への、最後のメッセージでした。

 

 

 

 

 

あなたが旅立って、今日で5年経ちました。

 

私、この5年、結構頑張ったよ。

部活最後までやり切って、毎日泣きながら受験勉強して、中学校を卒業して。第一志望の高校に合格して入学して。高校で入った部活はブラックで、毎日泣きながら練習に行って、人間関係も上手くいかなくて、でもちゃんと最後までやり切ったよ。キャプテンもやったよ。大学受験もめちゃくちゃしんどかったけど乗り越えたよ。第一志望の大学に合格したよ。

あなたに何度も聞かせた夢を、今もちゃんと追いかけてるよ。

思い描いていたようにはいかないことも沢山あって、辛くて苦しくて毎日のように泣いた。あなたがいれば、って何回も思った。

それでも、踏ん張ってやってきたよ。

 

 

この5年、あなたを思い出さない日は1日もなかった。

時々、お風呂や布団の中で、あなたとの日々を思い返して泣いた。

 

忘れるなんてできないよ。

 

 

 

5年間、本当にいろんなことがあったよ。

あなたが生きていたら、鬱陶しいくらい毎日話しかけていたと思う。

私が新しく好きになったグループのこと、知ってるかな。SixTONESっていうんだけど。

その人たちへの愛を爆発させてるブログで今これを書いてるんだよ。

 

5年の間にオタク度が高まってしまって大体いつも金欠だけど、なんだかんだ楽しいよ。

上手くいかないことの方が多いけど、なんとか踏ん張ってるよ。

 

 

 

 

そろそろ秋、果物が美味しい季節です。

よく林檎の皮食べてたなぁ。なんて、思い出しています。

撫でてやるとクルクルと鳴き、帰宅するとキューキューと鳴く、かわいらしいその声が大好きでした。

大好物の葉っぱを必死に食べる顔が大好きでした。

いつだって寄り添ってくれ、言葉は通じなくても味方でいてくれる、優しいあなたが大好きでした。

 

「共に生きる」ということの本当の意味を、教えてくれてありがとう。

 

 

美味しいものいっぱい食べて、待っててね。