説明会のため、もはや着慣れたリクルートスーツに身を包み、春から働く会社への道を歩いていた。
耳元で流れ始めたその曲に突然心を強く揺さぶられた私は、ヤバい奴になっている自覚がありながらも溢れ出る涙を止めることができなかった。
この曲が刺さりすぎて突然道端で泣き出してしまったオタクの話を、少し聞いてほしい。
初めて聴いたときから、好きだなと思っていた。
アニソンのような爽やかで力強いメロディに2人の声。
聴き心地が良く、思わず口ずさみたくなるような曲。
ただ、この曲の歌詞が私には刺さりすぎた。苦しいくらい。
物心ついたときから、学校の先生になりたかった。
そのためだけに生きていた。
中学で恩師に出会い、より強く「これしかない」と思うようになった。
高校と大学は恩師の背中を追うようにして決めた。
受験は心がぶっ壊れてしまったくらいキツかったけど、勉強は好きだった。
なんで教員を目指すようになったのか、始まりの部分は覚えていない。
幼稚園の先生が好きだったから、というのが多分入り口にあって、その後も「学校」という場所が私は好きだったから、この夢を持ち続けていたんだと思う。
恩師のような教員になりたかった。
一人一人の人生を、大切に見据えてくれる人だった。
私もこんな風に、出会う人の人生を想える人でありたいと思った。
その背を追って入った大学で、結果的に私はこの夢を一度しまい込むことに決めた。
自分でも、なぜその決断をしたのか、なぜその決断ができてしまったのか、今もわからない。
何が正解だったのか、わからなくて怖いままだ。
一つだけ言えるのは、コロナがなかったら私は確実にそのままの夢を追い続けていたということ。
立ち止まらざるを得なかったあの時間で、私の人生は変わった。
大学3年の夏〜秋は、就職活動をしながら教員採用試験の勉強もしていた。
自分が何になりたいのかわからなかった。
面接で話した志望動機はほとんど嘘だった。
私には何もなかった。
何もなくて、あまりにも自分が空っぽに思えてしまって、こんな人間が子どもの前に立ってはいけないなと思った日が確かにあった。
そんな日を経て、冬には採用試験の勉強を辞めて就活だけをするようになった。
先生になるのが夢だった。
免許は取った。あと一歩のところまでは近づいていた。
でも、その一歩を踏み出すことを、私は私に許すことができなかった。
あまりにも弱かった。
立ち止まることはできないから、新しく「夢」と呼べるものを探すしかなかった。
もがくような時間の中で、ようやく嘘のない志望動機が話せる会社を見つけた。
SixTONESの曲を聴きながらその会社までの道のりを歩いた。
面接が2時間に及んだ日もあったが、なんとか内定をいただいた。
その会社が、春から働く会社である。
そんな日々を思い出しながら、歩いていた。
そこに流れてきた希望の唄に、涙が止まらなくなった。
時が経って夢も変わって どうだい?今の僕は
自分のことを言われているのかと思った。
時が経って夢を変えて、そのことにどこか負い目を感じていたと思う。
私は自分のことが好きではないし、あまり価値のない人間だと思ってる。
それでも必死に頑張ってきた過去の自分は存在していたけれど、これでは報われないなと思ったりもしていた。
かつて抱いていた夢が、あまりにも私の人生の大部分を占めていたから。
その夢がなくなったとき、笑っちゃうくらいどうしていいかわからなかった。
選んだのは、自分なのに。
何も成せず、幼い頃からの夢を叶えてやることもできず、死ぬんだなと思うとこわかった。
だから、この曲が苦しいくらい真っ直ぐ届いた。
まだ、まだ、まだ、終わってないさ
あの頃の僕の声がする
大丈夫 足跡は今日に続いている
泣いて、泣いて、生まれたから
笑って、笑って、生きていたい
未来は誰にもわからない
でもそれはきっと僕がこの手で
選んで、掴んで、変えていける
そうだろう?
本当に全ての歌詞で涙が出るんだけど、特に心臓がギュッとなった歌詞。
書きながら、今もまた涙が出てる。
世界のすべてを自分で変えることはできないし、何もかもを選ぶこともできない。
流されなければならないときも、強い力に負けるときもある。
でも、今までの人生でそうしてきたように、これからだって、できる限り自分で選んで、掴んで、納得して進んでいきたい。
私の人生はまだ何も終わっていない、ということを、この曲が気づかせてくれた。
リクルートスーツを着てこの道を歩いている今も、私の選択の上にある。
悪いことばっかりじゃなかった。
夢を抱いて走ってきた日々も、その夢を変える選択をしたことも、悩みながら振り返りながら、それでも進んできたことも。
陽の当たる人生ではない。誰に知られるものでもない。
それでも、私は私の人生を悔いなく生きて、最後に正解だったと思いたい。
泣きながら考えていたのはそんなことばかりで、悩みも不安も全て抱えて生きていくのだと、不器用なりにそうやって生きていくのだと、自分に言い聞かせた。
希望の唄は、2人からのエールのように感じられた。
2人の声は、過去も今も、全て抱きしめてくれているようで。
リクルートスーツを着て、道端で泣きながら希望の唄を聴くなんて、映画なら印象的なシーンになりそうだ。
しかしこれは、この世界の片隅で暮らす人間の、普遍的な人生の中のほんのひとときの出来事で、当然誰の目にもとまらない。
でも、私にとっては、世界を変えてくれるくらいの出来事だった。
この曲を聴きながら道端で泣いた日のことを、私は多分忘れないんだろうなと思う。
そういう象徴的な日がたまにあるから、人生は面白いなとも思う。
過去の自分が笑顔になってくれるくらい、それで良かったんだと思ってもらえるくらい、強い自分でいたい。
胸を張れるような自分でいたい。
この曲に、今、出会うことができて良かった。