焼き餃子のぶろぐ

人生変えられたド新規スト担が、主にSixTONESについて気ままに語るブログです。HiHi Jetsについても語ることもあります。

村人HがSixTONESの沼に落ちるまで

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おはようございます。こんにちは。こんばんは。まめと申します。

このブログを始めた時に、嵐ファンの私がSixTONESにハマるまでの経緯を軽く書いたんですが、今回改めてしっかりと沼落ちブログを書いてみようと思います。

この沼落ちブログは、沼落ち過程を大きく3つの時期に分けたもので構成されています。

 

 

沼落ちの記録のような、当時の自分の気持ちの記録のような、そんなよくわからない長いブログになりましたが、お付き合いいただけると幸いです。

 

 

1. わたしについて

はじめに、沼落ち当時の私という人間について簡単にご説明しておきます。

 

・高校3年生

・人生の半分以上嵐ファン

・受験のストレスで病んでた

 

…特に説明するほどのことでもなかったですね。

こんな感じの、村人Hくらいの存在感の人間です。

 

 

2. 2019年11月

遡ること2019年。

私は、田舎のそこそこの進学校で、理系科目が笑っちゃうくらいできない数学科志望の受験生をしていました。

根っからの文系人間が数学科志望の理系学生になったのにはいろいろと理由があるわけですが、長くなるので省略します。

ただ、今振り返ってみると、数学科志望のくせに数学が最も苦手という最悪の受験生だったことが、SixTONESの沼に落ちるには必要な要素だったのかもしれません。

 

 

私がSixTONESをきちんと認識したのは、2019年11月のベストアーティストでした。

 

私はこの日、当時のマイブームであったリビング学習に勤しんでいました。

大型音楽番組は流しっぱなしにされる傾向がある我が家のテレビは、ベストアーティストを流し続けていました。

櫻井翔くん司会の番組なので、録画はバッチリ。受験が終わったら見るつもりでいました。

そのため私は、BGM程度に流れてくる音を聞きながらも画面を見ることはなく、ただひたすらに目の前の数式と格闘していました。

 

そんな時に、ピアノの音が聞こえてきたのです。

思わず意識を持っていかれるメロディー。

そこに声が乗った瞬間、私は思わず画面を見てしまいました。

そこにいたのが、SixTONESでした。

 

第一印象は「なんだコイツら!!」でした(失礼極まりない)(だってデカくて黒くて怖かったんだもん)。

当時の私は、テレビやSNSといった一切の娯楽を遠ざけて生活していたため、年明けにジャニーズから新たにデビューするグループがいることを知りませんでした。

今でこそ、歌番組等々でSixTONESSixTONESのメンバーをそういえば見てたな、とわかっているものの、この時の私はそこまで思い至ることもなく。

曲フリを聞いていなかったせいで「SixTONES」というグループ名の読み方も、ジャニーズ事務所所属のデビュー直前のアイドルだということもわからないまま、画面の中の真っ黒な衣装を着たデケェ兄ちゃんたちからただただ目を離せずにいました。

 

はじめは、このデカくて強そうで黒い兄ちゃんたちがジャニーズだとは思っていませんでした。

ましてや、デビュー前のグループだとは一欠片も思っていませんでした。

物凄い質量感の曲を歌いこなす6人組がまさかデビュー前のジャニーズだなんて、想像すらできなかったのです。

 

ほんの数分。

全てが衝撃的で、何かが迫ってくるような感覚に襲われていたことを、今でも鮮明に覚えています。

 

 

結局誰なんだコイツら!!と、曲が終わった瞬間に行なった追っかけ再生で、「SixTONES」は「ストーンズ」という読み方であること、SixTONESが来年デビューするジャニーズの新星であること、披露した曲があのYOSHIKIが提供した「Imitation Rain」という彼らのデビュー曲であることを知りました。

検索エンジンに「ストーンズ ジャニーズ」と打ち込んだことで、かなりの苦労人の集いであることも知りました。

 

そこまでやって、これはマズい、と思いました。

パフォーマンスに度肝を抜かれたこと、重なった声に確かな美しさと強さを感じたこと、ハーモニーの中に潜むとある人の声に心を掴まれていることを、自覚していたからです。

 

正直なところ、2019年の初めに嵐が活動休止を発表してから、2020年が終わった後どうやって生きていけばいいのかわからなくて怖かった。

嵐だけをずっと好きでいると、ずっと待っていると口にしながら、心のどこかで拠り所を探していました。

そんな時に、拠り所となり得る存在を見つけてしまったのです。

 

フラフラと近づいてしまいそうになっていることに気づいた私は、何やってんだ!と人生で初めて自分の顔面に往復ビンタを叩き込み、目の前のオリスタ(数学の問題集)に一旦顔を埋めて数学を摂取することで現実を思い出し、この日SixTONESの沼に近づくことをなんとか踏みとどまりました。

ですが、あの衝撃は到底忘れられるものではありませんでした。

 

 

3. 2019年12月〜2020年2月

衝撃は忘れられなくとも、襲ってくる現実には抗えず。

この頃の私は、ただ日々に飲み込まれていました。

 

秋から、成績は思うように上がらず、本番を迎える前に既に心は崩壊寸前でした。

起きる、朝食を食べながら地理の一問一答集を読む、電車で英単語帳を確認する、学校に行って授業を受ける、放課後追い出されるまで数学の問題を解く、電車で英単語帳を確認する、夕食を食べる、風呂に入る、数学の問題を解く、化学の問題を解く、物理の問題を解く、朝の気配を感じる頃に眠る、起きる…

部活を引退した初夏から繰り返してきた生活には、とっくに嫌気がさしていました。

 

私は頭が良くないから、質を意識しながらも量をこなす必要がありました。

解いて解いて解いて、一歩進んだと思ったら叩きのめされて。

なにくそ、と思ってまた解いて解いて解いて、やっぱり叩きのめされて。

そんなことを繰り返すうちに、何かを楽しむ余裕はなくなっていきました。

 

バラエティ番組の能天気さに腹が立ったし、SNSはもうずっと見ていなかったし、小説を読む時間も無駄に感じてずっと読めなかった。

でも何より辛かったのは、ずっと聴いてきた大好きな曲にすら、苛立ちを覚えてしまったことでした。

耳元で私を励ましてくれた曲が邪魔に感じて、耳に捩じ込まれたイヤホンはただの耳栓と化しました。

あらゆる音は、イヤホンという名の耳栓を通過する時には輪郭をなくし、言葉も歌も何もかも「自分には関係ないところで鳴っている音」でしかありませんでした。

 

彩りも何もない毎日。

辛くて苦しくて、でもそれを言葉にすることもできなくて。

ストレスで眉毛抜きまくっちゃって眉毛ほぼなかったし、ずっと謎の蕁麻疹出てたし、過眠と不眠を繰り返すような不安定な毎日でした。

そんな毎日を耐えて耐えて耐えて、ある時プツッと、張っていた糸が切れてしまいました。

 

死にたい、としか思えなくなって、きっかけもなく涙が溢れてきて、でも勉強しなきゃと机に向かって。

深い夜の闇に沈んだまま、浮かんでくることもできず。

夜の底の暗さに絶望して、呼吸すること以外を諦めていました。

 

 

新年のどこか浮ついた空気も自分には関係のないもの。

そうして迎えたセンター試験は、酷い結果になりました。

2日目が終わって家に帰った後、ご飯は一口も食べられませんでした。

そのまま自己採点をして、もう全部無理だと思って。涙も出ず、ただ夜が明けるまで空を見続けていました。

長い長い夜でした。

 

結局、滑り止めだったはずの私立大学も落ちました。

自信なんて欠片も残っていませんでした。

その時の私に残っていたのは、どうせ自分は何をやっても駄目なのだという自己嫌悪と、死にたいという気持ちと、E判定の第一志望校の受験票でした。

 

一人でいたら本当に死んでしまいそうで、とにかく人の多いところに行こうと、地元で一番人が多い某大型商業施設に行きました。

なんとなく、CDショップに入りました。

そこで私を待っていたのが、あの日のデケェ兄ちゃんたちことSixTONESでした。

 

どうしてCDショップに入ったのか、どうしてSixTONESのCDを手に取ったのか、記憶が曖昧でよく覚えていません。

何かを求めて、とか、何かを期待して、ということでもなく、「あ、あの時の人たちだ」と思い出してCDを買ったのです。

 

CDショップは明るくて、私の目には眩しすぎてしんどくて。入り口の一番近くにあったCDを買うだけで疲れ果ててしまい、逃げるように家に帰りました。

デビュー直後で、入り口の一番近くに展開されていたから、なんとかCDを買うことができました。

入り口の一番近くに展開されていなかったら、私はSixTONESに辿り着けなかったと思います。

自分の人生で必要なものには必ず出会えるようになっているんだなぁと、今になって感じています。

 

 

帰宅して、すぐにCDを開けました。

机の上に広げていた問題集もノートも筆記用具も全部乱雑に下に落とし、机の上をCDだけにして。

目を閉じて、Imitation Rainを再生しました。

 

 

あの瞬間が、SixTONESの沼に落ちた瞬間だったと思います。

 

 

雷が落ちた、とかではなく。

じわじわと自分の体にSixTONESが染み込んでくるような、ある意味穏やかで緩やかな沼落ちでした。

かっこいい!!好きかも!!みたいな、一目惚れ的な感じでもなくて。

辛くて辛くて仕方なかった時に、肩に寄りかからせてくれた人を好きになった、みたいな。

 

泣きながら過ごす夜は何度も何度も繰り返していたけれど、その日だけは、多分涙の種類が違っていました。

深い夜の底に沈んでいた私の元に一筋の光が届き、「まだ生きられるかもしれない」と思えたあの瞬間のことを、私はずっと忘れないと思います。

死にたい毎日の中で、私に届いた6人の声は、希望であり、光であり、救いでした。

 

何回も何回も繰り返し聴きました。

途中まで涙を受け止めてくれていたティッシュは、役目を十二分に果たして濡れた小さな塊になりました。

顔も着ていた服も涙でグショグショで。

でもそんなことも気にならないくらい、SixTONESの声に、Imitation Rainという曲に浸りました。

「勉強していない自分」を許すことができた、唯一の夜でした。

 

 

そんな夜を経ても、毎日の厳しさは相変わらずでしたが、耳栓はイヤホンの役目を取り戻し、耳元ではいつも6人の声が響いていました。

6人の声に支えられ、小さな小さな一歩をなんとかギリギリ繋ぎながら、繰り返す夜を越え続けました。

 

受験会場に向かう電車の中、席について試験開始を待つ時間、砂を噛むような昼食の時間、全部終わった帰り道。

聴こえる声は、ずっと変わらずそこにいてくれました。

それがどれだけ、心強かったか。

 

受験期、音楽を聴けなかった私が唯一聴くことができたのが、SixTONESの音楽でした。

眠っても眠った気がしなくて、ご飯も味がしなくて、感情という感情が死んで、機械的に生活をこなすことで精一杯だった私をこの世界に繋ぎ止めてくれたのが、SixTONESの6人でした。

 

好きって言えるほど、まだSixTONESのことを知らなかったけど。

今はそれでいいんだと思わせてくれた6人のことが、多分とっくに好きでした。

 

 

4. 2020年3月〜

春の匂いを感じられるくらいに心を取り戻し、なんとかギリギリで桜を咲かせた私は、YouTubeを解禁しました。

100本を超える動画を順番に見ていく時間は、久しぶりに楽しくて、ゲラゲラ笑えて、ほっぺたが痛くなりました。

Imitation Rainで心を掴まれた声の主が、松村北斗という人であるということもわかりました。

自分を救ってくれた人たちの顔と名前と声が一致して、一層感謝の気持ちが強まりました。

 

ジェシーは黙ってたらめちゃくちゃかっこいいのに、喋り出すとギャグマシーンで言ってることの半分くらいは意味わかんなくて、でも歌う時やパフォーマンスの時の瞳は誰よりも熱くて。

大きな笑い声は聴いているだけでつられて笑えてきてしまうし、元気が出ました。

笑ってる向こう側、というか奥側?に、抱えてきたものとか見てきたであろう景色がうっすら見えて、そういうものを全部ひっくるめて真ん中に立つ姿がかっこいい人だと思いました。

この人は多分、めちゃくちゃ強くて、儚い人なんだって。

その手にギュッと握りしめていたものをおもむろに差し出す、みたいな言葉を紡ぐ人だけど、その言葉には説得力があって。

その説得力の根底にあるのは多分、ジェシー自身の経験なんだろうなって思うと、無条件に信じていられると思いました。

 

大我さんは、第一印象から「美しいひと」っていうのがありました。

どんなにヤンチャしても、意味不明な行動をしても、漂う気品は唯一無二。

そして、プロとしての自覚の強さに驚かされました。

なんだって持っていそうな人なのに、どこまでもチャレンジングで、どこか飢えたような顔をしてる。

それが不思議でたまらなかったけど、いろいろなものを見ていくうちに、その精神が大我さんをつくる大切な要素なんだなと思いました。

この人の声があればSixTONESは大丈夫だって思えるくらいの美しく力強い声の主は、Imitation Rainという曲の中で私が感じていた夜の闇を、その声ひとつで切り裂いてくれた人でした。

 

髙地くんは、私が知ってるアイドル像に一番近い人だと思いました。

いつもニコニコしていて、近づきたくなる空気を纏っていて、でもどこか掴みどころがなくて。

圧倒的に「わからない」人で、でもカッコよくてかわいらしくてつい見てしまう人。

相葉くんに憧れてるって知った時には、もうそれだけでこの人のこと好き!!って思った。

いじられキャラに見えるけど、それだけ他の5人から信頼されている人なんだなと感じました。

アイドルとしてのSixTONESに必要不可欠な存在で、あと、絶対上ハモがハマるタイプだろうなと思ってました。声質が相葉くんに似てたから。

 

慎太郎さんは、強くて繊細な人なんだなと思いました。

6人の中で一番若いのに、一番冷めた目で物事を見ているように感じて。

フレンドリーで誰でも寄せ付けるような空気感を醸し出しながら、実際はそうじゃないんでしょ?と思ってた。

その空気は多分、傷ついたり苦しんだりしてきた中で生まれてきたものなのかな、と思いつつ、6人でいる時に暴走しがちなところとかジェシーと同じくらいでっかい口で笑うところを見て、なんだこの人面白い人か!という結論に至るくらいには底抜けに明るい人でした。

もしかしたら、底抜けに明るいように見せられるくらい強いアイドルなのかもしれないけど、そこを問うのは愚かなので、笑ってるところが好きだよと綴っておきます。

あと、ガタイが良いのに声はめちゃくちゃ甘くて、SixTONESの曲にこの声があるのは超強い武器だなと思いました。

 

樹くんは、クレバーな人だと思いました。

とにかく頭の回転が速くて、勘が良くて、何より人のことをよく見てるしよく聞いているなと。

なんというか、6人の中で一番人たらしなんじゃないかなって感じました。

話している人の目を見て笑ったりとか、埋もれそうな声を拾ったりとか、気遣いと滲み出る人柄が明らかに良い人のそれで。

でも、ラップしてる時はめちゃくちゃ強い。本当に強い。

ギラついていそうで、しっかりファンの目線に降りてきて言葉を紡げる人。

SixTONESは全体的に信頼できる集団だと感じていたけど、特に、この人がいるから、SixTONESを信じたい、信じられるって思えるんだろうなと思いました。

 

北斗くんは、一番は声の印象。

Imitation Rainをじっくり聴いた夜、重なった声の一番下にいる誰かの声に心を掴まれて。

どういう表現が適切かわからないんだけど、北斗くんの声は、私には何か切実な声に聴こえました。

想いの乗った真っ直ぐな声。

紡ぐ言葉に触れて一層、日本語との親和性が一番高い人だと思いました。

クールなのかな?と思わせておいて癖強めで世界観が独特なところも、こうなりたい・こうありたいっていう意思が明確にあるんだろうなと感じる表現も、一度好きだと感じてしまえば堰を切ったように好きが溢れてしまいました。

 

そんな風に、個々の魅力にも気づきはじめた春でした。

FCに入ったのも3月なので、ここで沼落ち完了としても問題はないのですが、もう一段深く落ちた話まで書いてみようと思います。

 

 

 

2020年が始まってから、ニュースで新型コロナウイルスについて取り上げられることがじわじわと増えていました。

国立の試験の時には既にコロナ対応で〜という話があり、卒業式も短縮で実施され、少しずつその影響を感じていました。

程なくして、世界中にコロナウイルスが広がりました。

 

大学の入学式は中止になりました。

オリエンテーションも10分程度に短縮され、詳細は資料をよく読んで確認してくださいと言われました。

せっかく集まった同級生と話すことも禁じられ、友達づくりができないまま履修登録に翻弄され、右も左もわからないまま新生活が始まりました。

 

始まった授業は全てオンライン。

学科の特性なのか顔出しの授業がほとんどなくて、同級生の顔と名前はおろか教授の顔すらわからないまま授業は進み、課題をこなすだけの日々が訪れました。

ひどい授業だと「各自テキストの該当ページを読み、課題を提出するように」という短い指示だけで済ませられました。

難しい課題に頭を悩ませ、慣れないパソコン操作や意味のわからないプログラミングに苦しめられ、夜通し考えて形にした課題が×で返ってくる度に、自分を丸ごと否定されたような気持ちになりました。

 

誰かと会って話したかった。

抜け出したはずのひとりぼっちの夜に、また引き戻されてしまうのを感じました。

 

 

そんな不自由で不確定で漠然とした恐怖を感じる世界の中で、やっぱりSixTONESは光でした。

 

窮屈な生活に気が狂いそうになっていた時、個人ブログが開設されました。

5月1日、2回目の北斗くんのブログを読んだ時、私は絶対にこの人に誇ってもらえるファンでいようと思いました。

 

「みんなは誰かを幸せにしている素晴らしい人だから胸を張っていてください」

 

そんな言葉、アイドルがくれるなんて思っていなくて。

ボロボロ泣いて、この人が好きだと思って。

私は、そんな言葉をかけてもらえるような人間じゃないのに、なんでこんなに優しい言葉をかけてくれるんだろう。なんでこの人は、こんなにあったかいんだろう、って思いました。

 

別にこれは、私個人に向けた言葉ではないわけです。

アイドルが、自分のブログを読んでいるファンに向けて綴った言葉ですから。

それをわかった上で。

この言葉には、一人の人間を元気づけるには十分すぎるくらいの力がありました。

 

 

コロナウイルスは思っていたよりもしぶとくて、私たちは長い間不自由な生活を強いられることになりました。

逃げ出したいくらいしんどいのに、どこにも逃げられなくて、苦しかった。

鬱っぽくなったけど、病院に行くことも憚られたし、ただ耐えるしかありませんでした。

 

でも、SixTONESに出会えたから、なんとか越えてこられました。

毎日のように更新されるブログ、毎週金曜日のYouTube、新しい曲、ラジオ、テレビ、雑誌…

SixTONESを見ない日はなくて、SixTONESの声を聴かない日はなくて。

SixTONESを通して出会った人やものにも助けられて。

 

Twitterで似た境遇のスト担さんと出会って、苦しみを分かち合ったり

離れていても、会ったことがなくても、SixTONESについて語り合えたり

外に出るのが億劫になりかけた時に、大我さんがやっているからと御朱印集めを理由にして、寺社仏閣を巡りまくったり

北斗くんが好きだからと水曜どうでしょうのDVDを買い漁って毎日見たり

北斗くんがおすすめしてた本を読んだり

 

そんな風に、自分の生活を、好きなもの、好きな人、好きな人の好きなもので彩って

だいじょうぶ、まだだいじょうぶ、って言い聞かせながら、いつか本当に大丈夫になる日が来るって信じて生きていました。

大丈夫じゃない日も勿論あったけど、きっと明日は笑えるぞ、って信じることができたのは、6人の言葉と6人の音楽があったからです。

 

 

SixTONESに出会えていなかったら、ずーーっと夜の底に沈んだままだったと思います。

SixTONESに出会えたから、夜はちゃんと明けるってわかったよ。

夜はちゃんと明けるってわかったから、夜の中にある美しさに目を向けることもできるようになりました。

 

何もないと思っていた世界は、案外面白いことで溢れていて。

SixTONESに出会ってから、世界は彩度を増したように思います。

季節の風も人のぬくもりも、こんなに美しいものだったんだと思い出させてくれた。

輝きを見せてくれるのも、輝きを見つけるための余裕を与えてくれるのも、私にはSixTONESでした。

 

私自身はそんなに変わってなくて、ネガティブで自分に自信はなくて時々消えたいって思う。

でも、SixTONESに出会えたから、毎日をちょっと強く生きられる気がするし、ちょっとでも強くありたいと思うようになった。

誇れるような自分じゃないけど、SixTONESに恥じないように、泥臭くてもちゃんと自分の足で立って生きていたいと思うようになった。

生きることに前向きになった。

 

 

今こうして、自分の人生をちゃんと生きていられるのは、SixTONESに出会えたからです。

落っこちた沼が、SixTONESの沼で本当に良かった。

 

SixTONESのこと、6人のことを、本当に尊敬しています。

尊敬できる人たちだから、沼落ちしたとも言える。

同時に、一生かけて伝えたって足りないくらい、感謝しています。

あの時、私を救ってくれて、ありがとう。

 

 

愛しています

って、言葉にしちゃうとなんだかとってもふわふわしてしまうのは、どうしてなのか。

でも、私のこのSixTONESへの気持ちを、6人に向けて届けようと思うと、これ以上の言葉を見つけることができません。

気の利いたことが言えなくて悔しいけど、私には、真っ直ぐに伝えることしかできないから。

 

愛しています。ありがとう。

 

この2つを、沼の中からでっかい声で叫んでいようと思います。

 

 

 

 

これが私の沼落ちです。

もっとハッピーでハイテンションなブログにしたかったけど、どう足掻いても沼落ちした頃が暗黒期すぎて無理でした!

てなわけで、これにて閉幕!ちゃんちゃん!

SixTONES結成8周年によせて

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偶然なのか、必然なのか。

運命のようでいて、運命とは似て非なる道。

それほどまでに、努力が及ぼしてきた影響が大きい、6人の軌跡。

 

 

2023年5月1日。

SixTONES、結成8周年おめでとう!!

ひとつの目標であった夢舞台に、堂々と立った8年目。

6人の瞳に映る景色は、どんなものでしたか?

 

個人仕事の充実度が高く、きっとそれぞれが外の世界で戦っていたよね。

その分グループでいる時間を心から楽しんでいて、SixTONESで音楽をつくる時間を本当に大切にしていたんだろうなと感じています。

 

鋭さを増すパフォーマンスも、着実にレベルが上がっている歌も、様々な楽曲に挑戦する飽くなき探究心も、どんなことがあっても笑ってみせる強さも。

きっと、こちら側からは想像できないほどの努力の上にあって。

耐え忍ぶ姿なんて、少しも見せてはくれなくて。

アイドルとして、どこまでも真っ直ぐに、世界を見つめてた。

そんな6人の姿を見て、ずっと力をもらっていました。

 

私に、5万5000人を同時に幸せにする力はありません。

せいぜい半径3mの円の中にいる人しか、いや、それすらもできない時の方が多いくらい。

そのくらい、誰かを幸せにするということは難しいものです。

 

SixTONESはアイドルだから、誰かを幸せにするのは大切なお仕事の1つで。

私もファンとして、6人から幸せをもらっている1人で。

だからこそいつも思う、6人はちゃんと幸せなのかなって。

 

たくさんの人に幸せを届けるということは、やっぱり並の人間には出来ないことです。

それが当たり前になっているであろう6人は、なんてことない顔をして、私たちに「ありがとう」と伝えてくれるけれど。

とんでもなく凄いことを、日々やってのけているのだということをわかっていてほしい。

自分のこと、自分たちのことを、まず何よりもとびっきり大事にしていてほしいのです。

 

重い奴みたいでちょっと恥ずかしいけど、「6人が幸せであること」が私の幸せの絶対条件なんです。

だから、6人が幸せでいられること、心から笑っていられることを、いつも何よりも願っています。

 

大きな力に立ち向かわなければならない時もあるでしょう。

未来に不安を感じることもあるでしょう。

でもね、SixTONESなら大丈夫だって本気で思うのです。

 

SixTONESは、広い空を見上げながらも、今立っている大地の広さもちゃんとわかっている。

空の広さも大地の広さもわかっていて、どちらにも無限の可能性があると知っている。

そういうグループだと、感じるから。

SixTONESの未来は明るいと、何の疑いもなく信じていられるのです。

 

 

8年目も、たくさんの幸せをくれてありがとう。

SixTONESに出会えてよかった、という気持ちは、重ねた年月の分厚みが増しています。

本当に、あなた達に出会えてよかった。

 

私は、恋がよくわかりません。

でもSixTONESには、とびきりの愛を感じています。

だからこれからも、世界の隅っこからずーーーっと、愛を叫んでいようと思います。

いつか、6人に届くことを願って。

 

偶然でも必然でも、運命でもそうでなくても、なんだっていいから。

ただ、6人が笑っていられますように。

6人の夢が、世界中を照らすほどに輝けますように。

こっから始まる物語が、ずっと続きますように。

 

9年目もよろしくね。愛しています。

暁を越えて。

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2023年4月23日。

SixTONES「慣声の法則」がツアーファイナルを迎えた。

アリーナツアーから始まり、追加公演として京セラ・東京の2大ドーム。

SixTONES単独では初のドーム公演。

 

このブログは、夢舞台を奇跡的に見届けることができた人間が泣きながら書いている。

本当に奇跡的に、自名義と友人の同行として東京ドーム3days参戦が叶った。

それぞれの日毎のレポブログも書こうと思っているが、ここには1人のオタクの、想いを記す。

 

 

 

 

最後に“ドーム”という場所に行ったのは2019年、嵐の5×20。

その時は、もしかしたらもう二度と、ドームでライブ参戦という日は来ないかもしれないと思ってた。

必死になって目に焼き付けた景色を、今でも覚えてる。

 

巡り巡って2023年。

SixTONESが、大舞台に立つ日がやってきた。

私は「いつか」が「今」に変わる瞬間に立ち会える幸せを噛み締めていた。

 

キラキラの瞳のファンで埋まる大きな会場、思い思いの色で会場を彩るペンライト、登場を今か今かと待つ時間、暗転の瞬間の大歓声。

もう、逢えないかもしれないと覚悟した光景が広がっていた。

それだけで胸がいっぱいだった。

 

SixTONESは初めてのドームをどんな風に自分たちの色に染めるのか。

私は、ジャニーズエンターテインメントの最高峰とも称される嵐のライブ育ちということもあって少し辛い目線も持っている自覚があった。

今回はアリーナツアーの追加公演という位置付けだったこともあり、多少のやりづらさもあったんじゃないかな。

 

でも、はっきりと「こういうことをやりたい」という6人の想いを受け取れた。

レーザーを使った演出も、特効を使った演出も、大掛かりな舞台装置を使いこなしてきた彼ららしさを感じた。

何より「SixTONESの音楽を、積み重ねてきた時間を、1人でも多くの人間に届ける」という強い意思が垣間見える構成だったと思う。

 

決して集大成ではなかった。

だって、きっとまだまだ、ドームという箱を使って出来ることはある。

使いこなせる時がきっとくる。

今までで一番、5年後10年後が楽しみになった。

 

 

ジャニーズとして、アイドルとして、アーティストとして。

どれも微妙に当てはまらない。

これら全てが複雑に混ざり合って出来ているのがSixTONESだと思う。

だから、SixTONESとして。

 

6人とも全力で歌って、踊って、楽しんでいた。

最初から最後まで、みんな本当に良い表情だった。

そしてそれは、ファンも一緒だったよ。

 

私はスタンド席だったけど、みんながSixTONESの音楽に乗って、全力で楽しんでた。

立つ地面が揺れてたし、空気も揺れてた。

ステージから遠く離れた席で、みんなが口々に「すごいね」「かっこいいね」「遠くてもこんなに楽しいんだ」「幸せだね」って言ってたこと、6人は知らないでしょう?

これはきっと、あなた達を見つめるファンだけの特権。

 

きっとうちわは見えないだろうから、それなら全力でペンライト振って楽しもう!それが素晴らしい景色を作るんだ!って思ったから、汗だくでペンライトを振った。周りもそうだったから、きっと想いは同じだったんだと思う。

遠くたって、ちゃんと楽しかったよ。

 

 

ご縁を大切にするSixTONESだから実現したコラボも、本当に6人とファンだけで作られた時間も、全部愛に溢れてて大切で特別だった。

きっと、過ごしてきた時間に無駄なものなんてなかったんだと思う。

苦しくても辛くても、踏ん張り続けてきてくれたんだよね。

ちゃんと実を結んでた。

夢が夢で終わらなかったのは、間違いなく6人の努力の結果。

 

アンコールの最後の曲に彗星の空を選んでくれたおかげで、泣けて泣けて仕方なかった。

特に初日のジェシーの涙、それを見てグッときながらも笑顔の5人の姿があまりにも美しくて。

ライブでジェシーの顔を見るとグッとくる、と話すメンバー。

そう思わせるくらいにSixTONESの支柱で、太陽で、心臓みたいなジェシーが泣いた時、他の5人は笑って支えるんだって思うとまた泣けて。

ずっと6人で横に並んでいてほしいって願わずにはいられなかった。

 

 

 

一度散ったはずの未来図を、裏紙にもう一度描きなおして。

不確定で不安定な中、自分たちを信じて暁を待ち続けて。

そうして辿り着いた夢舞台。

6人の瞳には、どんな風に映っていましたか?

 

大きな会場がどこか狭く感じたのは、きっとSixTONES自身が大きな存在になったから。

出会ったタイミングはそれぞれ違っても、みんなSixTONESに救われて、SixTONESに光を見てきたんだと思う。

私も、SixTONESに救われた1人です。

 

以前、Imitation Rainに夜明けの光を見た、というブログを書いたことがある。

暗く長い夜に終わりを告げる、一筋の光。

ずっと、そんな風に感じてた。

 

でも、東京ドームで聴いたImitation Rainは、人生で数えるほどしか出逢えない、それはそれは美しい朝焼けのようだった。

世界を優しく、でも力強く照らすように。

辛いことがあっても、今がどんなに苦しくても、きっと大丈夫だから。生きていれば、きっとなんとかなるから。と伝えてくれているようで。

SixTONESが歌うことの意味を改めて感じた。

 

 

音を楽しむってきっとこういうことなんだろうなと思うくらい、楽しそうに歌って踊っている6人を見られて、本当に幸せだった。

SixTONESが好き。SixTONESの音楽が好き。

そんな想いを深めた。

 

彼らのすごいところは、単に生歌が上手ってだけではなくて、音源以上に気持ちを乗せて音楽を届けてくれるところだと思う。

ただ上手なだけじゃ、ここまで心は震えない。

思わず鳥肌が立ったり、凄すぎて笑っちゃったり、涙が溢れてきたり。

そんな風に感情が揺さぶられるのは、届く歌声に6人の想いが乗っているから。

 

 

SixTONESに出会えて、本当に幸せ。

SixTONESを生きる意味にしたくない、っていうのはずっと思ってるけど、今日を繋いで進んでいくための理由くらいには、してもいいかな?

もう、あなた達がいなかった時をどう生きてきたかわからないからさ。

そのくらい日常に溶け込んで、6人が知らないところで、6人が知る由もない人生を、私は今日も生きてる。

 

ありがとう。

出会ってくれて、

救ってくれて、

生きる力をくれて、

たくさんの素敵な出会いをくれて、

こんなに美しい景色を見せてくれて、

ありがとう、と伝えてくれて。

 

一つの大きな目標を越えて、今どんな気持ちでいるのかな。

わからないけど、きっと未来にはまだ見ぬ景色が待ってる。

一緒に見たい景色がまだまだあるよ。

見せてあげる、なんて烏滸がましすぎて言えないけど、6人の笑顔の理由を増やすことができれば良いな。

 

 

6人がSixTONESに託した夢が、これからも叶いますように。

SixTONESという大きな夢が、ずっと続きますように。

 

6人のスーパースター。

いざ、暁の先へ。

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2枚の賞状、努力の跡。

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今日、自担が日本アカデミー賞の舞台に立った。

二度壇上に上がり、二度スピーチをした彼は、終始謙虚で緊張しているようだった。

 

日本アカデミー賞新人俳優賞と、話題賞のW受賞。

誰にでも出来ることではない。

作品との巡り合わせ、タイミング、その他いろいろな運の要素も大きいかもしれない。

でも、私はそれ以上に、努力の要素が大きいと思っている。

 

「僕なんか」「こんな僕を」「すみません」、とあなたは言った。

あなたらしいと思った。

どこまでも謙虚で、というか、最早ちょっとネガティブで。

掴んだ賞への想いよりも、周囲への感謝が前に出てくる人。

お芝居にどこまでも謙虚に、誠実に向き合う人。

 

お芝居がやりたいって自分で口にするようになってから、さまざまな作品で揉まれて、学んできたんだよね。

少しずつレベルアップしているのは、いつも見ているファンが多分一番よくわかってる。

あなたが今日手にした2枚の賞状は、あなたの手に渡るに相応しいものなんだよ、きっと。

それだけの努力を、あなたは重ねてきたんだよ。

 

謙虚さの中に、自信を忍ばせて良いんだよ。

 

あなたが見せてくれた、出会わせてくれた世界は、どれも本当に素晴らしかった。

その世界は今も私の中に、確かに、鮮やかにある。

テレビの前で、名だたる俳優陣の中にひっそりと佇むあなたを見て、賞状を抱えながら話すあなたを見て、泣いている人が多分私以外にもいたよ。

 

嬉しくて、誇らしくて、ありがとうって思いながら気づいたら泣いてた。

本当に、すごい人を好きになりました。

 

あなたはきっと、まだまだ進んでいける人。

いつかトロフィーを手にできる人。

私はそう信じています。

 

だからどうか、その手に少しだけ、自信を持っていてください。

あなたが魂を込めて向き合った作品は、ちゃんと届いています。

これからも、それはきっと変わらない。

 

北斗くん。

改めて、日本アカデミー賞新人俳優賞と話題賞の受賞、おめでとうございます。

これからも素敵な作品と出会えますように。

ちゃんと受け取る準備をして、待っていますね。

10周年。

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2023.02.11

作間くん、入所10周年おめでとうございます🎊

ジャニーズの作間龍斗としては、10歳の誕生日ですね。

 

アイドル人生が始まったその瞬間を、私は知らないけれど。

10年もの間アイドルとして走り続けてきてくれたから、作間くんに出会い、今こうしてお祝いすることができています。

本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

私には、10年も続けてこられたことなんて多分なくて。

人生の4分の3以上追いかけてきた夢すらも、今は傍に置いておく決断をしました。

少なくとも私にとって、夢を見て、夢を追い続けるのは、時にとても苦しいことです。

理想と現実のギャップに苦しんだり、やるべきことの多さに辟易したり。

 

作間くんにとって、夢を追うことは、苦しいことではないですか。

 

その答えは、私にはわかりません。

でも、たとえ苦しいことがあったとしても、それを見せずに乗り越えていってしまうのだろうから。

せめて少しでも笑顔が増えるように、少しでも乗り越えるための力を届けられるように、応援していたいと思います。

 

作間くんのおかげで、私は本当に幸せです。

あなたから、日々を頑張る力をもらっています。

本当に本当にありがとう。

 

アイドルを、ジャニーズを選んでくれてありがとう。

人生の半分、この道を歩き続けてきてくれてありがとう。

あなたの人生をどうこうする力なんて持っていないけれど、あなたが望む人生を、4人の仲間と歩いて行くための応援はできると思うから。

だからこれからも、HiHi Jets作間龍斗を、応援させてください。

 

11年目もきっと変わらず、

いや、多分今まで以上に、大好きです。

【HiHi Jets】忘れたくない日の記憶

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やけに鮮明な夢を見ているような気分だった。

それでいて、この時間を夢にしてたまるかと、強く思っていた。

 

 

 

2023年1月3日。

私は、まだ新しい年を迎えたばかりの浮ついた空気が残る東京にいた。

目的は「JOHNNYS' World Next Stage」

舞台運がとことん悪い自分にとって、初めての舞台だった。

 

発券されたチケットには1階A列の文字。

予備知識がなさすぎてそれが表す意味には気がつかなかったが、座席表を見た瞬間手が震えた。

なんたるビギナーズラック。

私、元日に引いたおみくじで「慎ましく生きろ」って書かれてたのにいきなりこんな特大の幸せをいただいてしまって大丈夫なんだろうか…と不安になりながら座席についた。

開演までずっと、緊張で胃が痙攣している感覚があった。隣の友人はほんのりバグってた。人見知り陰キャのくせに隣の席の人と喋ったりなんかしちゃったあたり、多分私もバグってた。

 

だってステージが近すぎる。

大学の授業の時の教授との距離より全然近い。

なんやこれ、なんやこの幸運、私は今日生きて帰られへんのか…

って始まるまでずっと呟いてた。(こわ)

 

 

そして、開演。

 

 

登場した瞬間、予想の5倍くらい近い距離に困惑した。

そして、みんなの輝きにただただ圧倒された。

自分はとんでもないところに来てしまったのだと思い、この輝きを2時間半直視し続けることが果たして自分にできるのだろうかと若干不安になった。

 

 

全ての曲目に触れるのは(己の記憶力の限界と論文レベルの長さになる恐れがあるため)難しいので、ここからは印象的だった場面をピックアップしていこうと思う。

以下、ネタバレと狂ったオタク人格の出現を含む。

 

 

まずは殺陣。

最初のゆうぴーが刀を抜くシーン、その真剣な表情に会場全体に緊張の糸が張っているのがわかった。

いきなり1対2の構図から始まった瑞稀くんはキツそうだなと思った。

途中、HiHi5人が斬られて倒れ込むシーンで丁度目の前が作間さんで、頭頂部を見ることができた。

(なんたる経験…髪の毛サラッサラでお肌もめちゃ綺麗…羨ましい…)なんてことを一瞬思ったが、その直後、少し離れたところに落ちた刀を手繰り寄せて立ち上がり、再び立ち向かう一連の流れのリアリティと泥臭さの中の美しさに一気に引き込まれた。

 

最後にHiHi5人が横並びで斬られるシーンでも目の前が作間さんで。

斬る浮所さんの次に近い位置かつゼロズレで自担が斬られる瞬間を見るという、大変複雑で貴重な経験をさせていただいた。今思い出しても震える。

 

斬られる瞬間の作間さんの表情が、苦しそうでも無念そうでもどこか覚悟を決めたようでもあり、芝居だとわかっていたけど私も苦しくなった。

今もその瞬間の表情が脳裏に焼き付いている。

あれは確かに、名前もわからない誰かの、最期の瞬間だった。

 

11人での殺陣は、途中で舞台上に15cmほどの段差が出現したこともあり、一歩間違えば衝突や転倒の危険があったと思う。

しかし、舞台をギリギリまで使って全力で走り回り斬り合う姿を見て、一体どれほど厳しい稽古を重ねてきたのだろうかと思い、泣きそうになった。

暗転して舞台が下がっていく時に、マイクを通さない地声の荒い息づかいが聞こえてきて、殺陣がいかにハードであったか、いかに彼らが全力で取り組んでいるかが感じられて、堪えていた涙が溢れた。

 

 

ここから戦争が始まる。

 

「急げ!若者」は作間さんのソロパートから。

とても透き通っていて、心地よい高さの声。

持って生まれたその才能に、きっとまた努力を重ねたんだね。

もともとの声が素敵だから歌唱力が上がったら敵なしだなぁとは以前から思っていたけれど、どんどんレベルが上がっていっているのがわかった。

どこまでも努力を重ねられるひと。ああ好きだなぁと、思った。

 

戦争のシーンでは、美しさや迫力に魅入ると同時に、目の前の舞台を通して70年ほど前の現実を見ていたように思う。

すごかったね、かっこよかったね

なんて感想で止めてはいけないのだと、彼らの表情を見ていて感じたから。

当時の暮らしに思いを馳せると、やっぱり泣いてしまうのだ。

 

二通の手紙。瑞稀くんと皇輝くんの感情がこもった芝居に胸打たれた。

当時、同じような気持ちで、同じような状況で、

「お国のために」と言われながら、

「お国のために」と言いながら、

散って行った若者がきっと数えきれないほどいる。

苦しくて苦しくて仕方なかった。

 

ライフルのシーンは正直ほぼずっと作間さんを見ていたけど、美しいの一言だった。

ライフルだけを支点にした側転、一瞬何が起きたかわからなくて度肝を抜かれた。

すごすぎるでしょ、作間さん。

 

途中一度だけライフルを落とした時に、一瞬苛立った顔をしていて、ああ悔しいんだなって思って。

どこまでも高みを、完璧を目指そうとすることができる人が、私はとても好きだったと思い出した。

 

 

一幕を通して、私は何度も泣いた。

戦争で散っていった人たちは、丁度今舞台に立つ彼らと同じくらいの年齢で。

時代が違えば、こんな風に舞台の上で輝く彼らを見ることなんて叶わなかったわけで。

そんなことを考えていると、今この瞬間に、舞台の上で輝く彼らを目の前で見ることができるのは、一体どれほど幸運で恵まれたことなんだろうと涙が溢れてきたのだった。

 

 

私たちは、もう知っている。

 

当たり前は簡単に崩れることを

同じ時間を同じ空間で共有できるのはとても恵まれたことだということを

 

知っているはず、学んでいるはずなのだ。

自分自身が戦争を体験したことはなくとも、ウイルスによって脅かされた生活から。

今もなお、世界の何処かで続く戦争から。

 

当たり前は簡単に崩れる、なんて当たり前のことを、人はやっぱり忘れてしまう生き物だから。

こうして思い出さなくてはいけない。

自分の中に持っていなくてはいけない。

そのきっかけを、私はこの舞台からもらった。

それが、ここで得た何より大きな価値だったと思う。

 

 

 

第二幕は、ジャニーズのSHOWの世界。

煌びやかで、全力で、美しい世界に魅了された。

 

剣舞の作間さん、美しさが段違いで。

結構なしなりがあるはずなのに、かなりの速度感で剣を扱っていて、剣先まで神経通ってるの??って問いたくなるくらい身体と一体化していた。

動と静を司りし作間龍斗

本当に末恐ろしいの一言である。

 

ところどころ楽しくなりすぎて、後ろの方の迷惑にならない範囲でリズムをとりながら左右にゆらゆら揺れていたら、ゆうぴーとガリさんと瑞稀くんと目があってニヤってされた気がする。(気がする、だけなんだけど、そう思っておいた方が絶対的に幸せなのでそう思うことにする)

 

新曲もめちゃくちゃかっこよかった。

始まる前の、ゆうぴーが1人1人とハイタッチしていくところで、ハイタッチの音がしっかり聞こえて胸が高鳴った。

作間さんのラップパートが新鮮で、いつもより低い声が出ていてとてもよかった。

かっこいい曲で、でもパフォーマンスをしている5人はニコニコと楽しそうで、ああ今とっても幸せだなぁってしみじみと思った。

 

 

新曲リレーが終わって全員が真っ白な衣装で登場して、全員で歌ってくれた。

それが物凄い輝きで、でもどこか儚くて、かと思えばとてつもなく美しくて。

私は真剣に、これは死ぬ前に見る夢なのだと思った。

最後にこんなに美しいものを見させてもらえるなんて、もうなんの後悔もない…と思ってしまう程度には素晴らしかった。

 

ああすごいなあ、これが、この舞台に立つ人たちにとっての人生なんだ

この人たちの人生の束の間の時間を、私はこの目で見させてもらっているんだ

 

そんなことを思い、改めて、ありがとうと伝えたくなった。

 

 

 

 

ここからは書ききれなかった5人についての記憶を少し。

 

ゆうぴーは、やっぱり輝きがすごい。

あんなにセンターが似合う人っているのね…といつも思うけど、今回もそう思った。

その存在感で、場の空気をつくってしまう人。

あと、最後の全員での歌唱の時かな?みんなフレジュの子たちと肩を組んでいたんだけど。

ゆうぴーは両脇にちっちゃいJr.の子を抱えていて、ニコニコしながら話しかけててとても尊い光景だった…

後輩たちを包み込むような、優しくも力強い先輩を感じました。

 

 

瑞稀くんは、穴澤さんの手紙の朗読からの君にこの歌をの歌唱がやっぱり印象的だった。

心の揺れを声の震えで表現しながら読まれた手紙も、心からの願いを託したような歌も、ひとつひとつに心が震えるのを感じた。

 

瑞稀くんを通して穴澤さんの想いを聴いた。

あまりに辛くて、苦しくて、忘れられなくて。

終演後に穴澤さんについて調べた。

穴澤さんは、出撃前に婚約者である智恵子さんから自身の代わりにとマフラーを贈られ、そのマフラーを巻いて出撃されたそうだ。

まだ23歳。

戦闘機に乗り込む時、その命が終わる時、何を思っておられたのだろう。

想像することもできないほど壮絶で、私には語る言葉がない。

ただ、忘れてはならない、知らなければならない、と思った。

 

 

橋本さんは、公園のシーン。

長いシーンの中で、他の人が話している時もひとりずっと芝居を続けているのがよくわかった。

表情とか、呼吸とか、誰かの言葉に対してほんの少し肩を震わせていたりとか。

未来への不安を感じながら、どうにかしなければと踠く若者を見事に演じ切っていた。

橋本さん、以前もっと演技の仕事がしたいって仰ってたけど、私ももっと見たいよ。

舞台で、こんなに繊細にお芝居ができる人なんだなぁと感動しました。

 

 

ガリさんは、やっぱり場の空気を操る天才で、なんと言っても自分自身がとにかく楽しんでいるのが伝わってきた。

「いつの時代も…」っていう台詞が、まるで台詞じゃないみたいに感じられたのは、きっとガリさん自身がいつも物事を深く考えて自分の言葉で伝えてくれているから。

言葉もパフォーマンスも、とにかく説得力がある。

「猪狩蒼弥」という人そのものが、説得力の塊で。その上で言葉やパフォーマンスを魅せてくれるもんだから、もう敵わない。

あと、めっっっちゃ横顔が綺麗。

 

 

作間さんは、一言で表すなら「美」。

お顔も動きも、本当に美しくて圧倒された。美の暴力。

ゼロズレで見られる瞬間が多くて、じーっと見てしまうのがなんだかもう逆に申し訳ないような気持ちになっていたんだけれども。

下から見上げるなんて経験そうそうできるものでもないので、ごめんなさいと思いながら見つめていました。

どの角度から見ても凛としていて絵画みたいに美しくて、忘れたくないと強く思った。

下から見上げたお顔も、武器を扱う繊細な動きも、透き通った歌声も、指先まで神経が通ったダンスも、ライトが当たらない瞬間にも続けられていたお芝居も。

夢でもなんでもいいから、忘れたくないと。

 

 

 

最初から最後まで、全員が舞台の上を所狭しと駆け回っていた。

きっと物凄くハードな演目続きだと思う。

息づかいが聞こえてくるほど近い席で見ていたのもあり、終始みんなの気迫に圧倒されていた。

 

私にとって、辛い時にこそエンターテインメントは必要で。きっとそれは、多くの人にとってもそうなんだと思っている。

でも、平和じゃないと届けることも受け取ることも難しい。

 

自分が今生きていること、

今この時代に彼らに出会えたこと、

同じ時間を同じ場所で共有できること、

彼らが舞台に立ってくれること。

 

どれも特別で、幸せで、有難いことだ。

 

有り得ないほど恵まれた席で、私はじっと手を見ていた。

短く揃えられた爪、血の通った手。

今まででいちばん、彼らもちゃんと同じ世界に生きている1人の人間なんだと感じられた。

みんな、頑張っている人の手をしてた。

 

その手で、きっとこれからもいろんなものを掴み取っていくんだね。

私は、その手に願うものが全て収まることを誰よりも信じて、祈っていたいと思うよ。

 

 

 

お正月から、こんなにもハードな舞台でエンターテインメントを届け続けている彼らはなんてすごいんだろう。

何を考えているんだろう。しっかり休めているだろうか。

自分なんて到底足元にも及ばないけれど、できる限り近づきたいと思った。

何より、彼らが全身全霊をかけて届けてくれたものを、ずっと大切に持っていたいと思った。

 

 

この道を選んでくれたこと、こうして舞台に立ってくれていることに、言い尽くせないほどの感謝の気持ちを抱いています。

人生の欠片を見せてくれて、本当にありがとう。

 

“忘れたくない日”がある人生は、きっと良いものです。

良い人生をくれて、ありがとう。

2022年とSixTONESと

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お久しぶりです。

あっという間に2022年も最終日。

今年もいろんなことがありましたね。

 

 

2022年は私にとって、初めてSixTONESに会うことができた大切な1年です。

3時間弱程の時間。たったそれだけの時間を、SixTONESに出会ってからどれだけ心待ちにしていたことでしょう。

心震える、思わず涙が出る、声が出せない中でもファンの声が聴こえてくるような、夢のような時間でした。

 

 

今年を振り返ってみると、驚くほど沢山の出会いがあったなぁという気がしています。

ひとつひとつ書いていたら今年が終わってしまうくらい、沢山の幸せと出会わせてくれましたね。

本当にありがとう。

 

SixTONESのおかげで出会えた音楽も、お芝居も、どれも私の人生をとても豊かにしてくれています。

いつも貰ってばかりで、ちゃんと返せているのかな、力になれているのかなって時々思う。

でも、いつも本当に温かい言葉を届けてくれるから。

ああ、この人たちをずっと信じていよう、って思うんです。

 

もうすっかり、SixTONESなしでは生きられないほど、あなた達は生活の一部になりました。

冗談ではなく本当に、たった3時間ほどの記憶を拠り所にして2022年を生き抜いたんですよ。

信じられないかもしれないけれど、それがファンという生き物なんですね。

 

嫌なこと、しんどいこと、確かに幾つもあったはずだけど

SixTONESを見ていると、SixTONESの音楽を聴いていると、そんな記憶が少しずつ薄れていくのがわかります。

 

あなた達が持つ力は、あなた達が思っている以上に大きくて

あなた達の優しさは、あなた達が思っている以上に私たちの心を温めてくれています。

本当に本当に、今年もたくさん、ありがとう。

 

今年もSixTONESが大好きでした。

幸せな1年をありがとう。

来年もきっと、明るくて楽しい1年になるね。