おはようございます。こんにちは。こんばんは。まめと申します。
このブログを始めた時に、嵐ファンの私がSixTONESにハマるまでの経緯を軽く書いたんですが、今回改めてしっかりと沼落ちブログを書いてみようと思います。
この沼落ちブログは、沼落ち過程を大きく3つの時期に分けたもので構成されています。
沼落ちの記録のような、当時の自分の気持ちの記録のような、そんなよくわからない長いブログになりましたが、お付き合いいただけると幸いです。
1. わたしについて
はじめに、沼落ち当時の私という人間について簡単にご説明しておきます。
・高校3年生
・人生の半分以上嵐ファン
・受験のストレスで病んでた
…特に説明するほどのことでもなかったですね。
こんな感じの、村人Hくらいの存在感の人間です。
2. 2019年11月
遡ること2019年。
私は、田舎のそこそこの進学校で、理系科目が笑っちゃうくらいできない数学科志望の受験生をしていました。
根っからの文系人間が数学科志望の理系学生になったのにはいろいろと理由があるわけですが、長くなるので省略します。
ただ、今振り返ってみると、数学科志望のくせに数学が最も苦手という最悪の受験生だったことが、SixTONESの沼に落ちるには必要な要素だったのかもしれません。
私がSixTONESをきちんと認識したのは、2019年11月のベストアーティストでした。
私はこの日、当時のマイブームであったリビング学習に勤しんでいました。
大型音楽番組は流しっぱなしにされる傾向がある我が家のテレビは、ベストアーティストを流し続けていました。
櫻井翔くん司会の番組なので、録画はバッチリ。受験が終わったら見るつもりでいました。
そのため私は、BGM程度に流れてくる音を聞きながらも画面を見ることはなく、ただひたすらに目の前の数式と格闘していました。
そんな時に、ピアノの音が聞こえてきたのです。
思わず意識を持っていかれるメロディー。
そこに声が乗った瞬間、私は思わず画面を見てしまいました。
そこにいたのが、SixTONESでした。
第一印象は「なんだコイツら!!」でした(失礼極まりない)(だってデカくて黒くて怖かったんだもん)。
当時の私は、テレビやSNSといった一切の娯楽を遠ざけて生活していたため、年明けにジャニーズから新たにデビューするグループがいることを知りませんでした。
今でこそ、歌番組等々でSixTONESや SixTONESのメンバーをそういえば見てたな、とわかっているものの、この時の私はそこまで思い至ることもなく。
曲フリを聞いていなかったせいで「SixTONES」というグループ名の読み方も、ジャニーズ事務所所属のデビュー直前のアイドルだということもわからないまま、画面の中の真っ黒な衣装を着たデケェ兄ちゃんたちからただただ目を離せずにいました。
はじめは、このデカくて強そうで黒い兄ちゃんたちがジャニーズだとは思っていませんでした。
ましてや、デビュー前のグループだとは一欠片も思っていませんでした。
物凄い質量感の曲を歌いこなす6人組がまさかデビュー前のジャニーズだなんて、想像すらできなかったのです。
ほんの数分。
全てが衝撃的で、何かが迫ってくるような感覚に襲われていたことを、今でも鮮明に覚えています。
結局誰なんだコイツら!!と、曲が終わった瞬間に行なった追っかけ再生で、「SixTONES」は「ストーンズ」という読み方であること、SixTONESが来年デビューするジャニーズの新星であること、披露した曲があのYOSHIKIが提供した「Imitation Rain」という彼らのデビュー曲であることを知りました。
検索エンジンに「ストーンズ ジャニーズ」と打ち込んだことで、かなりの苦労人の集いであることも知りました。
そこまでやって、これはマズい、と思いました。
パフォーマンスに度肝を抜かれたこと、重なった声に確かな美しさと強さを感じたこと、ハーモニーの中に潜むとある人の声に心を掴まれていることを、自覚していたからです。
正直なところ、2019年の初めに嵐が活動休止を発表してから、2020年が終わった後どうやって生きていけばいいのかわからなくて怖かった。
嵐だけをずっと好きでいると、ずっと待っていると口にしながら、心のどこかで拠り所を探していました。
そんな時に、拠り所となり得る存在を見つけてしまったのです。
フラフラと近づいてしまいそうになっていることに気づいた私は、何やってんだ!と人生で初めて自分の顔面に往復ビンタを叩き込み、目の前のオリスタ(数学の問題集)に一旦顔を埋めて数学を摂取することで現実を思い出し、この日SixTONESの沼に近づくことをなんとか踏みとどまりました。
ですが、あの衝撃は到底忘れられるものではありませんでした。
3. 2019年12月〜2020年2月
衝撃は忘れられなくとも、襲ってくる現実には抗えず。
この頃の私は、ただ日々に飲み込まれていました。
秋から、成績は思うように上がらず、本番を迎える前に既に心は崩壊寸前でした。
起きる、朝食を食べながら地理の一問一答集を読む、電車で英単語帳を確認する、学校に行って授業を受ける、放課後追い出されるまで数学の問題を解く、電車で英単語帳を確認する、夕食を食べる、風呂に入る、数学の問題を解く、化学の問題を解く、物理の問題を解く、朝の気配を感じる頃に眠る、起きる…
部活を引退した初夏から繰り返してきた生活には、とっくに嫌気がさしていました。
私は頭が良くないから、質を意識しながらも量をこなす必要がありました。
解いて解いて解いて、一歩進んだと思ったら叩きのめされて。
なにくそ、と思ってまた解いて解いて解いて、やっぱり叩きのめされて。
そんなことを繰り返すうちに、何かを楽しむ余裕はなくなっていきました。
バラエティ番組の能天気さに腹が立ったし、SNSはもうずっと見ていなかったし、小説を読む時間も無駄に感じてずっと読めなかった。
でも何より辛かったのは、ずっと聴いてきた大好きな曲にすら、苛立ちを覚えてしまったことでした。
耳元で私を励ましてくれた曲が邪魔に感じて、耳に捩じ込まれたイヤホンはただの耳栓と化しました。
あらゆる音は、イヤホンという名の耳栓を通過する時には輪郭をなくし、言葉も歌も何もかも「自分には関係ないところで鳴っている音」でしかありませんでした。
彩りも何もない毎日。
辛くて苦しくて、でもそれを言葉にすることもできなくて。
ストレスで眉毛抜きまくっちゃって眉毛ほぼなかったし、ずっと謎の蕁麻疹出てたし、過眠と不眠を繰り返すような不安定な毎日でした。
そんな毎日を耐えて耐えて耐えて、ある時プツッと、張っていた糸が切れてしまいました。
死にたい、としか思えなくなって、きっかけもなく涙が溢れてきて、でも勉強しなきゃと机に向かって。
深い夜の闇に沈んだまま、浮かんでくることもできず。
夜の底の暗さに絶望して、呼吸すること以外を諦めていました。
新年のどこか浮ついた空気も自分には関係のないもの。
そうして迎えたセンター試験は、酷い結果になりました。
2日目が終わって家に帰った後、ご飯は一口も食べられませんでした。
そのまま自己採点をして、もう全部無理だと思って。涙も出ず、ただ夜が明けるまで空を見続けていました。
長い長い夜でした。
結局、滑り止めだったはずの私立大学も落ちました。
自信なんて欠片も残っていませんでした。
その時の私に残っていたのは、どうせ自分は何をやっても駄目なのだという自己嫌悪と、死にたいという気持ちと、E判定の第一志望校の受験票でした。
一人でいたら本当に死んでしまいそうで、とにかく人の多いところに行こうと、地元で一番人が多い某大型商業施設に行きました。
なんとなく、CDショップに入りました。
そこで私を待っていたのが、あの日のデケェ兄ちゃんたちことSixTONESでした。
どうしてCDショップに入ったのか、どうしてSixTONESのCDを手に取ったのか、記憶が曖昧でよく覚えていません。
何かを求めて、とか、何かを期待して、ということでもなく、「あ、あの時の人たちだ」と思い出してCDを買ったのです。
CDショップは明るくて、私の目には眩しすぎてしんどくて。入り口の一番近くにあったCDを買うだけで疲れ果ててしまい、逃げるように家に帰りました。
デビュー直後で、入り口の一番近くに展開されていたから、なんとかCDを買うことができました。
入り口の一番近くに展開されていなかったら、私はSixTONESに辿り着けなかったと思います。
自分の人生で必要なものには必ず出会えるようになっているんだなぁと、今になって感じています。
帰宅して、すぐにCDを開けました。
机の上に広げていた問題集もノートも筆記用具も全部乱雑に下に落とし、机の上をCDだけにして。
目を閉じて、Imitation Rainを再生しました。
あの瞬間が、SixTONESの沼に落ちた瞬間だったと思います。
雷が落ちた、とかではなく。
じわじわと自分の体にSixTONESが染み込んでくるような、ある意味穏やかで緩やかな沼落ちでした。
かっこいい!!好きかも!!みたいな、一目惚れ的な感じでもなくて。
辛くて辛くて仕方なかった時に、肩に寄りかからせてくれた人を好きになった、みたいな。
泣きながら過ごす夜は何度も何度も繰り返していたけれど、その日だけは、多分涙の種類が違っていました。
深い夜の底に沈んでいた私の元に一筋の光が届き、「まだ生きられるかもしれない」と思えたあの瞬間のことを、私はずっと忘れないと思います。
死にたい毎日の中で、私に届いた6人の声は、希望であり、光であり、救いでした。
何回も何回も繰り返し聴きました。
途中まで涙を受け止めてくれていたティッシュは、役目を十二分に果たして濡れた小さな塊になりました。
顔も着ていた服も涙でグショグショで。
でもそんなことも気にならないくらい、SixTONESの声に、Imitation Rainという曲に浸りました。
「勉強していない自分」を許すことができた、唯一の夜でした。
そんな夜を経ても、毎日の厳しさは相変わらずでしたが、耳栓はイヤホンの役目を取り戻し、耳元ではいつも6人の声が響いていました。
6人の声に支えられ、小さな小さな一歩をなんとかギリギリ繋ぎながら、繰り返す夜を越え続けました。
受験会場に向かう電車の中、席について試験開始を待つ時間、砂を噛むような昼食の時間、全部終わった帰り道。
聴こえる声は、ずっと変わらずそこにいてくれました。
それがどれだけ、心強かったか。
受験期、音楽を聴けなかった私が唯一聴くことができたのが、SixTONESの音楽でした。
眠っても眠った気がしなくて、ご飯も味がしなくて、感情という感情が死んで、機械的に生活をこなすことで精一杯だった私をこの世界に繋ぎ止めてくれたのが、SixTONESの6人でした。
好きって言えるほど、まだSixTONESのことを知らなかったけど。
今はそれでいいんだと思わせてくれた6人のことが、多分とっくに好きでした。
4. 2020年3月〜
春の匂いを感じられるくらいに心を取り戻し、なんとかギリギリで桜を咲かせた私は、YouTubeを解禁しました。
100本を超える動画を順番に見ていく時間は、久しぶりに楽しくて、ゲラゲラ笑えて、ほっぺたが痛くなりました。
Imitation Rainで心を掴まれた声の主が、松村北斗という人であるということもわかりました。
自分を救ってくれた人たちの顔と名前と声が一致して、一層感謝の気持ちが強まりました。
ジェシーは黙ってたらめちゃくちゃかっこいいのに、喋り出すとギャグマシーンで言ってることの半分くらいは意味わかんなくて、でも歌う時やパフォーマンスの時の瞳は誰よりも熱くて。
大きな笑い声は聴いているだけでつられて笑えてきてしまうし、元気が出ました。
笑ってる向こう側、というか奥側?に、抱えてきたものとか見てきたであろう景色がうっすら見えて、そういうものを全部ひっくるめて真ん中に立つ姿がかっこいい人だと思いました。
この人は多分、めちゃくちゃ強くて、儚い人なんだって。
その手にギュッと握りしめていたものをおもむろに差し出す、みたいな言葉を紡ぐ人だけど、その言葉には説得力があって。
その説得力の根底にあるのは多分、ジェシー自身の経験なんだろうなって思うと、無条件に信じていられると思いました。
大我さんは、第一印象から「美しいひと」っていうのがありました。
どんなにヤンチャしても、意味不明な行動をしても、漂う気品は唯一無二。
そして、プロとしての自覚の強さに驚かされました。
なんだって持っていそうな人なのに、どこまでもチャレンジングで、どこか飢えたような顔をしてる。
それが不思議でたまらなかったけど、いろいろなものを見ていくうちに、その精神が大我さんをつくる大切な要素なんだなと思いました。
この人の声があればSixTONESは大丈夫だって思えるくらいの美しく力強い声の主は、Imitation Rainという曲の中で私が感じていた夜の闇を、その声ひとつで切り裂いてくれた人でした。
髙地くんは、私が知ってるアイドル像に一番近い人だと思いました。
いつもニコニコしていて、近づきたくなる空気を纏っていて、でもどこか掴みどころがなくて。
圧倒的に「わからない」人で、でもカッコよくてかわいらしくてつい見てしまう人。
相葉くんに憧れてるって知った時には、もうそれだけでこの人のこと好き!!って思った。
いじられキャラに見えるけど、それだけ他の5人から信頼されている人なんだなと感じました。
アイドルとしてのSixTONESに必要不可欠な存在で、あと、絶対上ハモがハマるタイプだろうなと思ってました。声質が相葉くんに似てたから。
慎太郎さんは、強くて繊細な人なんだなと思いました。
6人の中で一番若いのに、一番冷めた目で物事を見ているように感じて。
フレンドリーで誰でも寄せ付けるような空気感を醸し出しながら、実際はそうじゃないんでしょ?と思ってた。
その空気は多分、傷ついたり苦しんだりしてきた中で生まれてきたものなのかな、と思いつつ、6人でいる時に暴走しがちなところとかジェシーと同じくらいでっかい口で笑うところを見て、なんだこの人面白い人か!という結論に至るくらいには底抜けに明るい人でした。
もしかしたら、底抜けに明るいように見せられるくらい強いアイドルなのかもしれないけど、そこを問うのは愚かなので、笑ってるところが好きだよと綴っておきます。
あと、ガタイが良いのに声はめちゃくちゃ甘くて、SixTONESの曲にこの声があるのは超強い武器だなと思いました。
樹くんは、クレバーな人だと思いました。
とにかく頭の回転が速くて、勘が良くて、何より人のことをよく見てるしよく聞いているなと。
なんというか、6人の中で一番人たらしなんじゃないかなって感じました。
話している人の目を見て笑ったりとか、埋もれそうな声を拾ったりとか、気遣いと滲み出る人柄が明らかに良い人のそれで。
でも、ラップしてる時はめちゃくちゃ強い。本当に強い。
ギラついていそうで、しっかりファンの目線に降りてきて言葉を紡げる人。
SixTONESは全体的に信頼できる集団だと感じていたけど、特に、この人がいるから、SixTONESを信じたい、信じられるって思えるんだろうなと思いました。
北斗くんは、一番は声の印象。
Imitation Rainをじっくり聴いた夜、重なった声の一番下にいる誰かの声に心を掴まれて。
どういう表現が適切かわからないんだけど、北斗くんの声は、私には何か切実な声に聴こえました。
想いの乗った真っ直ぐな声。
紡ぐ言葉に触れて一層、日本語との親和性が一番高い人だと思いました。
クールなのかな?と思わせておいて癖強めで世界観が独特なところも、こうなりたい・こうありたいっていう意思が明確にあるんだろうなと感じる表現も、一度好きだと感じてしまえば堰を切ったように好きが溢れてしまいました。
そんな風に、個々の魅力にも気づきはじめた春でした。
FCに入ったのも3月なので、ここで沼落ち完了としても問題はないのですが、もう一段深く落ちた話まで書いてみようと思います。
2020年が始まってから、ニュースで新型コロナウイルスについて取り上げられることがじわじわと増えていました。
国立の試験の時には既にコロナ対応で〜という話があり、卒業式も短縮で実施され、少しずつその影響を感じていました。
程なくして、世界中にコロナウイルスが広がりました。
大学の入学式は中止になりました。
オリエンテーションも10分程度に短縮され、詳細は資料をよく読んで確認してくださいと言われました。
せっかく集まった同級生と話すことも禁じられ、友達づくりができないまま履修登録に翻弄され、右も左もわからないまま新生活が始まりました。
始まった授業は全てオンライン。
学科の特性なのか顔出しの授業がほとんどなくて、同級生の顔と名前はおろか教授の顔すらわからないまま授業は進み、課題をこなすだけの日々が訪れました。
ひどい授業だと「各自テキストの該当ページを読み、課題を提出するように」という短い指示だけで済ませられました。
難しい課題に頭を悩ませ、慣れないパソコン操作や意味のわからないプログラミングに苦しめられ、夜通し考えて形にした課題が×で返ってくる度に、自分を丸ごと否定されたような気持ちになりました。
誰かと会って話したかった。
抜け出したはずのひとりぼっちの夜に、また引き戻されてしまうのを感じました。
そんな不自由で不確定で漠然とした恐怖を感じる世界の中で、やっぱりSixTONESは光でした。
窮屈な生活に気が狂いそうになっていた時、個人ブログが開設されました。
5月1日、2回目の北斗くんのブログを読んだ時、私は絶対にこの人に誇ってもらえるファンでいようと思いました。
「みんなは誰かを幸せにしている素晴らしい人だから胸を張っていてください」
そんな言葉、アイドルがくれるなんて思っていなくて。
ボロボロ泣いて、この人が好きだと思って。
私は、そんな言葉をかけてもらえるような人間じゃないのに、なんでこんなに優しい言葉をかけてくれるんだろう。なんでこの人は、こんなにあったかいんだろう、って思いました。
別にこれは、私個人に向けた言葉ではないわけです。
アイドルが、自分のブログを読んでいるファンに向けて綴った言葉ですから。
それをわかった上で。
この言葉には、一人の人間を元気づけるには十分すぎるくらいの力がありました。
コロナウイルスは思っていたよりもしぶとくて、私たちは長い間不自由な生活を強いられることになりました。
逃げ出したいくらいしんどいのに、どこにも逃げられなくて、苦しかった。
鬱っぽくなったけど、病院に行くことも憚られたし、ただ耐えるしかありませんでした。
でも、SixTONESに出会えたから、なんとか越えてこられました。
毎日のように更新されるブログ、毎週金曜日のYouTube、新しい曲、ラジオ、テレビ、雑誌…
SixTONESを見ない日はなくて、SixTONESの声を聴かない日はなくて。
SixTONESを通して出会った人やものにも助けられて。
Twitterで似た境遇のスト担さんと出会って、苦しみを分かち合ったり
離れていても、会ったことがなくても、SixTONESについて語り合えたり
外に出るのが億劫になりかけた時に、大我さんがやっているからと御朱印集めを理由にして、寺社仏閣を巡りまくったり
北斗くんが好きだからと水曜どうでしょうのDVDを買い漁って毎日見たり
北斗くんがおすすめしてた本を読んだり
そんな風に、自分の生活を、好きなもの、好きな人、好きな人の好きなもので彩って
だいじょうぶ、まだだいじょうぶ、って言い聞かせながら、いつか本当に大丈夫になる日が来るって信じて生きていました。
大丈夫じゃない日も勿論あったけど、きっと明日は笑えるぞ、って信じることができたのは、6人の言葉と6人の音楽があったからです。
SixTONESに出会えていなかったら、ずーーっと夜の底に沈んだままだったと思います。
SixTONESに出会えたから、夜はちゃんと明けるってわかったよ。
夜はちゃんと明けるってわかったから、夜の中にある美しさに目を向けることもできるようになりました。
何もないと思っていた世界は、案外面白いことで溢れていて。
SixTONESに出会ってから、世界は彩度を増したように思います。
季節の風も人のぬくもりも、こんなに美しいものだったんだと思い出させてくれた。
輝きを見せてくれるのも、輝きを見つけるための余裕を与えてくれるのも、私にはSixTONESでした。
私自身はそんなに変わってなくて、ネガティブで自分に自信はなくて時々消えたいって思う。
でも、SixTONESに出会えたから、毎日をちょっと強く生きられる気がするし、ちょっとでも強くありたいと思うようになった。
誇れるような自分じゃないけど、SixTONESに恥じないように、泥臭くてもちゃんと自分の足で立って生きていたいと思うようになった。
生きることに前向きになった。
今こうして、自分の人生をちゃんと生きていられるのは、SixTONESに出会えたからです。
落っこちた沼が、SixTONESの沼で本当に良かった。
SixTONESのこと、6人のことを、本当に尊敬しています。
尊敬できる人たちだから、沼落ちしたとも言える。
同時に、一生かけて伝えたって足りないくらい、感謝しています。
あの時、私を救ってくれて、ありがとう。
愛しています
って、言葉にしちゃうとなんだかとってもふわふわしてしまうのは、どうしてなのか。
でも、私のこのSixTONESへの気持ちを、6人に向けて届けようと思うと、これ以上の言葉を見つけることができません。
気の利いたことが言えなくて悔しいけど、私には、真っ直ぐに伝えることしかできないから。
愛しています。ありがとう。
この2つを、沼の中からでっかい声で叫んでいようと思います。
これが私の沼落ちです。
もっとハッピーでハイテンションなブログにしたかったけど、どう足掻いても沼落ちした頃が暗黒期すぎて無理でした!
てなわけで、これにて閉幕!ちゃんちゃん!