8月10日、馴染みの配達員さんの笑顔と小さな箱。
軽いけど重いもの。
形ないものが、形になったもの。
私の目には輝く宝物に見えるもの。
大好きな人たちと沢山の人たちの想いが詰まったその円盤は、綺麗に洗った手とピンと伸ばした背筋がないと触れることすら憚られる。
そして幾つになっても、蓋を開ける瞬間のワクワク感は堪らない。毎回息も止めてしまう。
大好きで、大切な時間。
初めて手にしたCDは、SMAPの「Smap Vest」だった。
確か、5歳のクリスマスに枕元に置かれていたもの。自分でサンタさんにお願いしたかどうかは定かではない。
でも、クリスマスの朝、その小さな四角を手にした時の喜びと興奮は、今でもよく覚えている。
このCDは今も大切に持っている。
次に手にしたCDは、嵐の「5×10 All the BEST! 1999-2009」。
これは今の私に繋がる大切なもの。
初恋、ボロボロの歌詞カード、もう聴けなくなったCD。
褪せぬ衝撃と消えぬ沢山の思い出が詰まった宝物だ。
ディスクを入れると動き出す古いラジカセの、なんとも心許ないウィーーーンという音。
気まぐれに止まる音楽と、止まる度に叩かれるラジカセ、叩く幼い私。
歌詞カードを眺めながら、お気に入りのフレーズを何度も何度も繰り返し聴いた。
今はもうないラジカセは、私に何回叩かれたのだろう。
スピーカーから聞こえていた音楽は、いつしか耳元で聞こえるようになった。
巻き戻す度に鳴るキュルキュルという音を聞くことも、ラジカセを叩くこともなくなった。
パソコンにCDを取り込み、携帯端末に落とす術を身につけた。
CDを入れ替えなくても、止まる度に叩かなくても、次々と大好きな人たちの音楽が聴けるようになった。
便利になった喜びと、少しばかりの寂しさを覚えた。
時は流れ、現在。
「サブスク」と呼ばれるものが当たり前に存在し、CDを買わなくても音楽が聴ける時代になった。
いつでもどこでも、気軽に沢山の音楽にアクセスできる。
音楽は、きっと多くの人にとってより身近なものになった。
しかし、私は相変わらず、CDを買い、パソコンに取り込み、携帯端末に落として音楽を聴いている。
どうしても、手軽さよりも温もりを選んでしまう。
一つ一つの「手間」にこそ、幸せを感じるのだ。
私は、時代遅れと言われようとも形あるものが好きだ。
手触り、におい、温もり、重み。
その物が作られた過程を思いながら、その物に誰かが込めた想いを感じながら、その物に触れる時間が好きだ。
この想いは、きっと初めてCDを手にしたあの日から、ずっと変わらず私の中にある。
ジャニーズを応援していると必ずついて回るのが「CDデビュー」。
時代の流れを見れば、そこに固執する必要はないのでは?という意見にも一理あるとは思う。
でも、やっぱり私は、大好きな人たちにはCDデビューをしてほしいし、ずっとCDを出し続けてほしい。
私にとってCDは、いつまでも輝く宝物。
多くの人がサブスクによって音楽を身近に感じられるように、私はCDを通すことで音楽を身近に感じられる。
ラジカセを叩きまくっていた頃。CDを買い、パソコンに取り込み、携帯端末に落とすようになった今。
形は多少変われど、CDに触れ、その重みと温もりを知る時間こそが、私と音楽を近づけてくれる唯一無二のものだ。
時代は流れゆくけれど、どうかこの重みと温もりは、ずっとずっとここにあり続けてほしい。
CDがリリースされる度に、願っている。
愛すべき「手間」を、これからも愛し続けられるように。