お久しぶりです、こんばんは。
今回は矢花くんのブログの感想というか私の脳内整理ブログというかなんというか…なものになる予定です。短めです。
対面授業が再開したこともあり、どうも疲労が抜け切らぬまま日が過ぎているようです。
人とのコミュニケーションは楽しいけれど、私はHSPの性質を存分に発揮してしまうので毎回めちゃくちゃ疲れます。疲れています。
冒頭から疲れています。とか言うヤベェブログになってしまっていますが、癒されるためにも矢花くんのブログの感想と私の脳内を綴っていこうと思います。
矢花黎さんは読んでくれたら嬉しいです。
矢花黎さんじゃなくても読んでくれたら嬉しいです。
矢花くん、初外部、初主演舞台本当にお疲れ様でした!
無事に千秋楽まで駆け抜けられたようで何よりです。
私は観られませんでしたが、今日のブログを読みながら想像するのもとても面白かったです。
ありがとう。
またいつか、矢花くんの舞台が観られる日が来るといいな。
さて、ここからは恒例の脳内垂れ流しブログ。(物騒な名前だね)
どうでもいいが、私は読書が好きだ。
昔から、漫画より、ドラマより、映画より、小説が好きだった。
紙の上の文字が形を成す、映像を作る、私の脳内で「私なりの世界」ができていく、あの感覚が好きだった。
登場人物の顔は?背格好は?住んでいる部屋は?このシーンの空の色は?電車で座っているのはどこ?すれ違った沢山の人はどんな人?
…などなど。
「わざわざ描かれていないけれど、そこにあるはずのもの」を想像するのが好きだ。
作者の持つイメージはわからなくても、私なりのイメージを。
私だけの世界を。
小説は、それを許してくれるから好きだ。
私も矢花くんと同じく“抽象的な作品”が好きだ。
見る人によって解釈が違う、そんな作品がとても好き。
正解はない方がいい。
自分の解釈が多分私は好きなんだろうし、他者の解釈を知って唸るのも好き。
余白は受け手に与えられた自由。
行間は無限に広がる世界。
「なぜ」を突き詰めて見えてくる私なりの世界が、作者が伝えたかったことが見える瞬間が、堪らなく愛おしい。
想像することは、時に苦しくて。
でもやっぱり、とても大切なことで。
人を殺した登場人物がいたとして、「なぜ殺してしまったのか」「なぜ殺さなければならなかったのか」を想像することは苦しい。
現実だったら、「人を殺すなんて如何なる理由があっても言語道断!」と言う人が必ずいる。
それはある意味正しい。
でも、人の心は正論では説明ができない時がある。
だから想像力が要る。
殺した相手にされたことの羅列を読む。
自分だったら何を思うだろう。と想像する。
そこで初めて、その登場人物が自分の中で温度を持つ。
よく、行き交う人を眺めて想像する。特に夕方を好んで。
急いでいる人、嬉しそうな人、疲れている人、周囲をしきりに気にしている人、スマホを見ている人。
家に小さな娘さんでもいるのだろうか、好きなアーティストの仕事でも決まったのだろうか、朝早くから遠くまで仕事に行ってきたのだろうか、実はここにくるのが初めてなのだろうか、大切な人とやりとりをしているのだろうか。
まあ、知らんけど。
勝手に想像して、勝手に物語をつくる。
想像は小説の専売特許ではないから。
解釈違いも愛したい。愛してほしい。
そんなことを、割といつも思っている。