焼き餃子のぶろぐ

人生変えられたド新規スト担が、主にSixTONESについて気ままに語るブログです。HiHi Jetsについても語ることもあります。

死にたい夜と、Imitation Rain

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こんにちは。

若干物騒なタイトルですが、前から書こうと思っていたImitation Rainについてのお話をしたいと思います。

結論を先に言うと「救われた」って話なので、心配せず読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

死にたい夜ってありますか?

私はあります。

何もかも投げ出したくなって、泣き叫びたくて、苦しくて苦しくて仕方なくて、もう死んでもいいんじゃないかなって感じる夜。

しかもそんな夜が、毎日来る。

地獄です。

 

 

地獄でした。約半年前。受験期。

多分、これからまだまだ続く人生においては序章に過ぎないのだろうけど。

それでも、その時の私にとっては本当に苦しく耐え難いものだった。

 

 

向いてないくせに選んだ道。

周囲の反対をしょうもないプライドで押し切ってまで進んできた道。

「自分で選んだ」という事実に何より苦しめられていたと思う。

適性通りの道を選んでいれば、今頃こんなに苦労しなくて済んだんだろうなと毎日思ってた。

 

勉強しても勉強しても成績はなかなか上がらなくて。志望校には全然届かなくて。周りの化け物みたいな友達と自分を比べては落ち込んで。悪意のない「なんでこの道を選んだの?」って質問にずっと苦しめられて。

 

誰よりも早く教室に着いて勉強して、塾に行ってない分放課後は追い出されるまで学校で勉強して、家に帰って夜中まで勉強して。

娯楽をなるべく遠ざけていたら、大好きな音楽を聴くことにすら罪悪感を感じてしまって思うように出来なくなって。

毎日毎日同じことの繰り返しで、「こんなにやってるのに」って思いだけが大きくなって、ある日を境に「死にたい」としか思えなくなった。

 

特に夜が酷くて。

家族はみんな寝てしまっているし、ふと窓の外を見ても真っ暗だし、決してそんなことないのに世界に自分1人しかいないんじゃないかと思ったり。

孤独感と絶望感に完全に支配されてまともな思考ができなくなってしまって。

毎日泣きながら机に向かってた。

 

 

本当に、毎日が地獄だった。

学校に行って友達と話す時間は楽しくてちゃんと笑えてたのに、1人になると全部罪悪感に変わった。

勉強していない時間が全て無駄に思えた。

そうやって自分で自分を追い詰めて、段々息ができなくなった。

不眠になったり過眠になったりとにかく不安定だった。

不眠の時はまだよかったけど、過眠の時は「眠ってしまった」という罪悪感から死にたい気持ちがさらに強くなった。

 

その頃の大人たちの「大学受験で人生が決まるわけじゃない」は、私にとっては優しさの皮を被った刃のような言葉だった。

人生の全部が決まるわけじゃないかもしれないけど、ある程度は決まってしまう。そんな呑気なことを言っている場合じゃないとますます自分を追い詰めた。

 

その結果、心を病んだ。

 

馬鹿だと思う。今思えば。

しょうもないプライドを大事にしすぎて勝手に自滅したようなものだったから。

でも、その時の私には縋るものがプライドしかなかった。

 

 

 

心を病み、結局思うように勉強出来ず、センター試験はボロボロで、私立大学は全部落ちた。

諦めたくないのに諦めることを勧められた。

それは大人の優しさだということはわかっていた。

 

答えが出ないまま、街に出た。

なんとなく人が多いところに行きたくて大型商業施設に行った。

なぜだかわからないけど、CDショップに入った。

入り口のすぐ側でその曲は私を待っていた。

 

 

 

ピアノの音、あの日聴いてから頭を離れなかった声。

ああ、私が聴きたかった声だ。

とてつもない衝撃を受けた曲は、異様なほど死にたい夜に溶け込んだ。

 

問題集もノートも全部閉じて机の隅に追いやって、ただ曲を聴くだけの時間を過ごした。

涙が止まらなかった。

自分がなんでこんなに泣いているのかもよくわからなかったけど、とにかく涙が止まらなかった。

 

 

その時の私は、Imitation Rainは夜明けの曲だと思った。

SixTONESのことを「長いJr時代を経てデビューを果たした努力のグループ」という認識をしていたから、というのもあるかもしれない。

 

重みがあった。

あのメロディーと歌詞に負けない重みが。

苦しい時間を過ごしてきたんだろうなと思った。

そんな時間を糧に新たな一歩を踏み出した人たちの歌声は、驚くほど力強く、眩しかった。

 

15,6歳程の少年たちがこの曲を歌っていたとしたら、私は今頃この文章を書いていないと思う。

SixTONESだったから、救われた。

 

 

前半は、真っ暗な夜の闇しか見えなかった。

それがその時の自分の状況と重なって、苦しかった。

でも、Imitation Rainという曲は、闇で終わらなかった。

 

6人の声に、私は確かに夜明けの光を見た。

 

 

 

 

未だに思う。

あの時CDショップに入っていなかったら。

SixTONESに、Imitation Rainという曲に出会えていなかったら。

 

「応援ソング」と検索しまくっていた半年前。

初めは「頑張ろう」なんて思えていた応援ソングを次第に鬱陶しく感じるようになり、大好きだった曲もほとんど聴けなくなって苦しかった。そもそも、音を聞くこと自体苦痛になってた。

 

そんな時に出会ったのがImitation Rainだった。

本当に、この曲に救われた。

死にたい夜に聴いた曲、なんて言うと、失礼かもしれないけれど。

それでも言いたかった。残しておきたかった。

この曲に、6人の歌声に救われて、「まだ死ねない」と思って前に進めた人間がいるということを。

投げ出さずに進み続けてきてくれた6人がいたから、救われた人間がいるということを。

 

恥ずかしい話だけど、本当だから。

これを本人たちが読むことなんてきっとないけど。

そんな人間がいるなんて知り得ないだろうけど。

 

でも、私にとってSixTONESは恩人。

光を見せてくれた人。

力をくれた人。

「生きろ」とか「頑張れ」とか、優しいフリをした無責任な言葉に耳を塞いでいた私に、生きてきた道をもって未来を示してくれた人。

 

 

ありがとう。

救ってくれてありがとう。

救ったことにも気付いていないと思うけど、私は確かにあなた達に救われました。

 

 

死にたいって毎日思ってた。

それは、Imitation Rainを聴き始めてからも思ってた。

でも、死なずに、諦めずに、「もう少し頑張ろう」を積み重ねることができたのは、Imitation Rainに、SixTONESに出会えたからだと断言できる。

 

本当にありがとう。

 

 

 

 

今、頑張ってよかった、生きててよかった、って思えています。

死にたい夜に、死ななくてよかった。

ありがとう。

何回言っても足りないから、この先もずっと伝えていきます。

ありがとう。